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半分ほど開かれた障子の隙間を通って、月光が仄明るく室内を照らしている。畳の上に頬を押し付けたままうっすらと瞼を上げて、家康はその光を見る。
ひんやりとした畳の感触に頬をつけたまま、ぼんやり開いた目で畳に落ちた月光を辿る。己は眠っていたのだろうかと考えたが、明晰な頭はすぐに直前の記憶を探りだした。違う、己は墨客の離れに居た。
障子から射し込む陽がやや傾いていたから、午後の遅い時刻だった。完成の近づく書画を前に墨客は酷く取り乱していた。彼の語る言葉を家康は必死で聞き流そうとしていた―――頭痛が酷かったのだ。耳鳴は吠え声に聞こえた。いや、実際に声だったのかもしれない。
その声が夢で聞く声と同じだと気付いた瞬間、眩暈がして名を呼ばれた。その後を覚えていない。
(ここは……離れじゃない)
嫌というほど嗅いだ墨と顔料の独特の匂いがしない。
身じろぎをしようとして家康は身体を強張らせた。両腕が背中で一つに纏められて縛られていた。左の足首にも絡みつく感触がある。ゆるゆると現状を認識した家康の視界にふっと影が落ちた。松永、と呟きかけて次の瞬間にそれを口にしなかったことを己に感謝する。
滴る殺気にほど近い気配は鋭く剣呑で、それでいて酷く物悲しい。目の前に落ちる月光のようだ。美しく、しかし痛みを伴って家康の神経を侵す、光。
少しだけ頸を動かして視線を上げると、思った通りの男の姿があった。白練りと若紫の着物に墨染の帯。酷く綺麗な男なのだが、纏う気配が陰鬱ですぐにそうとは気づきにくい。
目を覚ました家康を見下ろしたまま、三成はぼそりと聞いた。
「貴様は家康か」
「ああ」
奇妙な問いに不審に思いながらも慎重に言葉を選ぶ。
三成は問うておきながら信用ならないのか、膝をつくと家康の顎を掴んで目を覗き込んできた。容赦のない指先が顎に食い込み、火傷痕を押さえる。眉を顰めて耐えていると、やがて納得したらしく手は離された。
「……凶王殿?」
ぎろり、と翡翠に似た色味の眼球が動いて家康を見た。
「これを解いてくれないか?」
「何故だ」
取り付く島もない会話だった。こうなってしまうと三成は相手の言など聞き入れない。攻め手を変えることにして家康はもう一度言葉を探した。
「ワシ、この体勢は辛いんだが」
「そうか」
「目が覚めて、両腕を縛られている上に脚まで繋がれているとなると、流石に心地が悪い」
「そうか」
「何故、ワシを縛ったんだ?」
今度は一拍、間が合った。きゅう、と三成の三白眼が動く。かり、と左手が畳の上を掻いた。
「貴様が逃げるからだ」
感情が削ぎ落とされたような声音で三成は言った。
「貴様がまた私から逃げようとするからだ。何時もそうだ。勝手に自己完結して勝手に決断して相手のことなどお構いなしだ」
独白なのか恨みごとなのか、酷く曖昧な口調だったが三成の目は真っ直ぐに家康を見ている。伸ばされた手が家康の黒衣の首元を掴んで引き寄せる。畳の上を身体が這いずって、後ろ手に拘束された腕に飾り帯が食い込んだ。見なくてもわかる、腰に二重に巻かれていた筈の深緋と藤黄の錦織のものだろう。
それでも家康が文句を言えなかったのは偏に三成の目の所為だったからかもしれない。物狂おしい色を孕んでいるのにとても綺麗だった。本能的に恐ろしいと思う。覗き込んだら最後、知らずに引き込まれて気が付いた時には後戻りできなくなる、そんな気がする。なにより恐ろしいのは家康自身、嘗てどこかで同じようなことを思ったような気がすることだった。脳内で警鐘が鳴る。
近づいた三成の白皙の頬は月のように蒼褪めていながら美しかった。その唇が家康の知らない罪を暴き立てる。その痛みが家康の中の遠い何かを揺さぶる。けれどそれは殺さねばならないものなのだ。
「誰かの為と言いながら、結局それは貴様自身の大義名分だ」
「凶王、殿…、っ」
「いつから、そんな目をして人でなしになった。血も涙もなくして貴様の心は何処へおいてきた。勝手に置き去りにしながら人には情けをかけて、私の心は何処へやればよかったんだ…!」
喘鳴は悲鳴になって咆哮になった。三成の手が首を引き据え、あっと思った時には唇が触れていた。濡れた感触と一緒に呼吸が混じって家康の身体は強張る。嫌悪ではない、それが逆に恐ろしい。
三成の掌は冷たいのに呼吸は炭火を燃すように熱かった。舌が絡み息が絡む。溺れる魚のように必死で継ぐような呼気に家康の心臓は早鐘を打ち、熱が野火のように四肢を広がっていく。合わせたくちから息と一緒に、三成から溢れる痛いほどの感情が、家康に流れ込んでくるのだ。
人ならざるものだけが有する第七の感覚が、魂の軋むような音に悲鳴を上げる。決して相容れぬのに互いに互いの代わりなど居ない。なぜ、どうして、と繰り返しても求めるために伸ばす腕を叫ぶ喉を切り捨てられない。
家康は全てを理解しわかっていながら目を背けた。三成は己自身理解しわかろうとはしなかったが、真っ直ぐに向き合った。すれ違い交わらなかった運命の糸をどうすればよかったのだろう。
細いが強靭な腕に突き飛ばされて家康の身体は畳の上に再び転がった。強かに背中をぶつけて呻いた身体の上に三成が覆い被さってくる。
羽織るだけの黒衣の前が乱れて醜い火傷痕が白い光の中に曝されている。頸にかかった紅玉と翡翠の首飾りを乱暴に引き千切ると、ばらばらと音を立てて血飛沫のように飛び散った。
月鬼のような三成の掌が傷だらけの男の膚を這い、弱い個所を探り当てていく。筋肉の筋を辿り、傷跡を掻き、骨の窪みをくじっていく。
「凶、王、」
「私は、私はほかに、どうすればよかった。どうすれば、貴様を、っ」
行き場のない感情が胸を食い荒らして息が出来なくなる。殺したい、けれど同時にそれは、違う。相容れないのに欲しいのは、やはり罪だというのだろうか。
飢餓に震える唇で家康の喉の火傷痕を辿り、苦しくて首筋に噛みついた。きつくめり込む歯に感じる筋肉の弾力に感覚がざわめいて満たされる。いや、それでも足りない。肌蹴た長衣の間に手を差し入れて、強く掴んだ脇腹に爪を立てる。掌の下で家康の身体が息づいている。
回想は今まで三成にとって痛みと憎悪しか呼び起さなかった。袂を分かってから気づいた目映いばかりの過去は、全て恨みの溢れる忌まわしい記憶だった。けれど、痛みを忌んで忘れ去るなど、もう三成にはできないのだ。
忌まわしい過去を引き摺り囚われていたのは、忘れ捨て去ることなど出来ないほど、固執していたからだ。置き去りにするならば心ごと切り捨てていかなければならないほど、大切だったのだ。その執着の正体に気づいてしまった。
家康の身体に触れれば三成の手指は鮮やかなまでに思い出す。覚えている。脇腹を辿り肋骨から順に筋を撫で下ろす。綺麗に割れた腹筋の窪みを舌でなぞると、三成の腕の中で家康の身体は耐えるように背骨を強張らせた。
洗朱の帯を掴んで解くと、この期に及んで家康は逃げるように腰を退こうとした。させじと膝を掴んで関節を極め、片腕で押さえ込む。閨の作法も色気もない取っ組み合いのような手法だが、家康と三成の房事はいつもこんな調子だった。然程かわらない上背の戦慣れした男二人、相手を制するには実戦的な手法が一番効くとわかりきっている。
伏せた半身と片腕で両の脚を開かせて、三成は空いた片手と口で器用に帯を解いて黒袴を寛げた。黒の下帯のうえからでも薄らと兆しているのがわかる。邪魔だとばかりに帯を歯で咥えたところで、家康の脚が往生際悪く足掻いた。
「やめてくれ、」
「貴様に拒絶の権利などない」
「なにを、考えて…」
「貴様に拒否権は無い!弁解も言い訳もしない貴様に、拒否だけが許されると思うな!」
言い訳も弁解もしない。反論もない。自覚さえできないほど本音を仕舞い込んで、怖気の走るような底なしの懐の深さで全ての業を己独りで飲み込めば、それで済むと思っているなら間違いだ。この人でなし、と三成は咽ぶように吐息とあわせて吐き出した。
思い知ればいい。
今までずっと三成自身は気づきもしなければ考えもしなかった。この身を食うほどの喪失と憎悪の根源を。
けれど己を自覚した今なら三成はもうはっきりと言える。痛くても苦しくても例え己の志に反しても、それでも、欲しいものは欲しいのだ。
固く締まった下腹に鼻先を擦りつけて下生えを掻き分けるようにし、解いた下帯から引きずり出すようにして陰茎を口に含む。舌の上に乗せて喉の奥まで受け入れれば、熱さと質量に体中の血がざわめいた。
三成の舌が絡まって唾液が音を立てるようになると、家康の腰が耐え難いように跳ねる。徐々に硬度と質量を増していくそれを夢中で舐めては、掌の下に押さえつけた腹筋の窪みと腰骨の感触を撫でまわす。
睫毛を透かしてちらりと見上げた腹に力が入って筋が綺麗に浮かび上がり扇情的だった。三成の方も身体の熱が上がっていくのを自覚する。きり、とこめかみが痛むような興奮と快感の刺激が、そのまま腰を重くしていく。
「っ、く」
必死で噛み殺した家康の声が聴覚から流れ込んで煽るように腰骨を刺した。
唇と舌で奔放に責められ快楽に追い立てられて、せわしなく家康の脛が畳を這いずる。膝にのしかかったままで口淫を続ける三成の脚が、それを抑えようと畳を擦り、近くの調度を蹴っ飛ばした。家康の戒められた左足首から伸びた飾り帯が、括りつけられた柱との間にぎりり、と張った。
「だ、めだもう…!離して、くれ」
珍しく限界を訴える声音は切羽詰まって響いた。追い詰めて引き絞って番えた矢を放つぎりぎりの一刹那、そこで漸く微かだけ零れおちる家康という男の本音。それを三成は貪り飲み干してしまいたい。
そのまま出せとばかりにきつく吸って促した瞬間、果てが来た。どぷりと青臭い味が舌先を刺激し、飛沫が喉を叩く。苦しさが勝ったが渇望は更にそれを上回った。
三成の長い睫を濡らした涙の滴は、苦痛以上に喜びによるものだった。そのまま飲み干して唇から陰茎を出すと、獣の吼えるような低い家康の声が畳の上を這った。
投げ出された長い脚が畳を力なく蹴って、三成に服従の拒絶を示す。
この期に及んで抵抗の意思を見せる家康に、低く舌打ちをすると唇を舐め、三成は己の衣の前をはだけた。帯を解くのももどかしく乱暴に蹴飛ばして、脱ぎ落とす。痩せぎすだが武人らしく無駄なくついた鋼のような筋肉が薄く身体を覆っている。
ぐっと絞られた腰の括れから浮き上がる腰骨の艶めいた陰影と、強靭に筋の浮かぶ細い太腿。その間で興奮に勃ち上がった陰茎を隠そうともせず、三成は伸ばした片脚で家康の腕を踏みつけて、下帯を解き捨てた。
月光を刷いたような三成の姿に、家康の金色の目が瞠られるのがわかった。喉仏がごくりとあからさまに動くのを見て三成は少し気を良くする。そうだ、それがみたい。取り澄まして面を被った偽りの神ではなく、ありのままの家康という男を。何故なら常に三成の心を抉り続けていたのは陽の神でもなんでもなく、ただ徳川家康という一人の男だったのだから。
先程蹴飛ばした薬箱からぶちまけられて転がっていた膏薬の薬籠を掴んで、三成は抵抗の緩んだ家康の腰に跨る。事此処に至って状況を完全に理解したらしい家康が目を剥いた。
「そんなことをしてはだめだ、凶王…っ」
「黙れ、貴様に拒否権は無いといっただろう!」
「何故だ、こんなことをしては貴方が……」
「今更、貴様がなにを指図する!」
咆哮と共に三成の爪が家康の鳩尾に食い込んだ。重心がずれて体重が腹に乗り思わず呻いた途端、握った拳で三成が家康を殴った。腹の内で唸り声を上げているものが、心臓を叩いて暴れ出す。
「女役の方が耐えられるか?傷つくより傷つける方が怖いか!だから貴様は弱いのだ!」
家康はいつもそうだった。優しく三成を抱く。処理だと言った三成の言葉にそうだなと頷いて、何も言わずに優しく抱き寄せた。三成が気が乗らぬ、腰が痛いと言う日には求められるままに抱かれる側に回った。自分からどうしたいかなど、どう思っているかなど言わなかった。
殴られた頬よりも胸のあたりを深く刺されたような衝撃に家康は息を詰める。わからない、覚えていない、知らないはずなのに、三成の翡翠の目から目を逸らせない。水底に沈めて葬り去ってしまった筈のなにかが、ざわざわと騒ぎ出すことに家康は戦慄する。
「ち、がう、ワシは、」
「違うものか。結局そうやって貴様は全てを片づけようとする。貴様のその勝手な解釈を私に押し付けるな!したり顔で勝手に私の心を測ったと驕るな!」
「っつ、う」
一度達したものの再び緩く兆している家康のそれを己の腿で押さえながら、三成は歯を食いしばったまま、手を後ろへ忍ばせた。
先に放たれた白濁と膏薬を絡めて指を挿し入れ、探るようにして拓いていく。汗が滴り苦しさに胸が焼けたが、やめるつもりなどさらさらなかった。
両腿の下で家康の身体が獣のように荒く息をついているのがわかる。まるで捕食のような状況だというのに血の騒ぎは酷くなるばかりだ。家康の眼差しが身体に注がれているのを感じて胸が一層に熱くなる。この渇望を、胸に抱くものの重みを軽んじられていたのならば、思い知らせてやる。
一度果てて力を失っていた家康のそれは、三成の痴態の所為か擦り付ける太腿での刺激の所為か、再び硬さを取り戻していた。手を伸ばして掴み軽く扱いてから腰を上げて慣らした其処に宛がう。どうすればいいか記憶を引き摺りだしながら、三成は熱い呼気を必死で継いだ。刀の切っ先と同じ種子島の銃口と同じ、呼吸を止めては標的が定まらない。
ねばついた音をたてて押し付けたそこでほぐれた口を広げ、ゆっくりと腰をおとす。隘路が開かれて侵入の圧迫に息が詰まりそうになる。苦しさに開いた内腿が弓弦のようにきりりと漲り、背骨が撓る。けれど止めない。
痛みや苦痛を伴ってもそれでも譲れないものがあり欲しいものがあった。道理、建前、しがらみ、信念、あらゆるものに雁字搦めにされてそれでも渇望が残り続けた。生き様は曲げられぬ心は偽れぬ、天下も貴様も共に欲しいのふたごころ。どちらか斬り落としてもやはり生きられぬなら、それが己の本心なのだ。
欲しがればいい、人の真理は個にしか宿らぬ。梟の甘言も今ならば手段にさえしてやろう。矛盾であってもそれが三成の真実だ。そう、気づいた。思い知ればいい、この渇望を。
「…家康、寄越せ、貴様が……欲しい」
喘鳴の間から本音を零した瞬間、ぐらついた背を家康の膝がぐっと支えた。鋭い衣擦れの音と共に深緋と藤黄の飾り帯が千切れ解けて畳の上に投げ出されるのが見えた。伸ばされた家康の力強い手が腿を掴み、腰を抱いたと感じた瞬間には、体勢が変わっていた。
「っ、あ、!」
熱が内奥を抉り、神経をもみくちゃにして目の奥に火花が散る。咄嗟に伸ばした三成の腕を無骨な手指が捕まえて、腰の上に抱きあげられていた。
「家康、っ」
一瞬近づいた男の唇が唇に触れる。同時に瞠った目に黄金の輝きが滴り落ちてきた。認識の隙もなく身体が傾いで、三成の背中は次の刹那には畳の上に押し付けられていた。あられもなく脚を押しひろげられ深くなる。身体の脇に家康の腕が檻のように突かれた。
獣の如くのしかかってきた家康を見上げて三成の身体は竦んだ。だが、心臓の火は余計に燃え上がった。何度も繰り返した既視感を、今なら正しく理解できる。
「ワシも」
絞り出すように囁かれた家康の声音は、狂おしく掠れていた。三成を組み敷いたまま家康は、精悍な顔に獰猛な色を刷いた笑みを浮かべて低く笑った。
「…ずっと、お前が欲しかったよ。三成」
言葉は声にさえならなかった。少し腰を引かれたと思ったら再び、今度は容赦なく深く突かれて腰が跳ねた。
「あ、……あ、ああァ、あ!」
家康の手が三成の脚を持ち上げ手指が琴線を丹念に辿っていく。鍛え上げられて締まった筋を辿り、柔らかな内側へくちづける度に三成の内は歓喜に咽んだ。傷だらけの指先が腰骨をなぞって腹を撫でる。
じわじわと追い詰める家康の手管を三成の身体が、いや魂が憶えている。熱が思考を焼いて神経を苛み、辛さか好さかが判断のつかぬぎりぎりの縁で身悶えて、それでも離れられないのが二人の在り方と鏡写しだった。
甘い痺れと微電に四肢をわななかせて三成は漏れそうになる甘ったるい声を噛み潰す。と、すかさず伸ばされた家康の手が頬に触れた。腰の角度が変わり泥濘が熱く抉られて悦楽に総毛立つ。
「家康、き、さま!急に、…っ、ッあ、!」
「こえ、を…聞かせてくれ。聞きたい」
「く、そ…、あ、ァア」
低く切羽詰まったように囁く家康の声が聴覚から三成をとろかせる。無骨な男の指が三成の薄い唇に触れ、優しくだが強引に割り開いた。
「みつなり、みつなり…」
ひっきりなしに繰り返しながら、もう片手が三成の弱い個所を探っていく。三成の白い肌に残る脇腹の古傷を労わるようにして腰を入れる家康のいつもの癖に気づいた途端、陽根を受け入れている奥がどうしようもなく疼いた。きつく締められて家康がく、と呼気を噛み殺す。
果てそうになるのを辛うじて堪えながら、家康は愛おしさと苦しさに顔を歪めて三成のこめかみを撫でた。
「おまえこそ、…急じゃないか」
「だまれ、ぬるい、…っ、足り、ん!…あ、あぁ」
舐めていた指先から舌を離して噛みつくように吐き捨てれば、家康の唇が緩く弧を描いた。口元から唾液を引いて指が離され、そのまま三成の腿を掴む。内腿をねっとり舐められ、抱え上げられた膝頭をこれみよがしに齧られて、竦みあがるような熱い痺れに背筋がうねった。
「ふふ、…ワシが食われそうだ。怖いな」
「怖い、か、……家康」
「こわいさ、だが、……」
言葉は其処で途切れたが、熱に浮かされた唇が無音で象ったそれを三成は確かに読み取った。
『それでも、欲しい』
それを、今度こそありのままの本音だと信じてよいのなら。
狭隘を押し広げて蹂躙する熱に、されるがまま追い立てられて目を閉じる。
熱くて苦しくて満たされて、甘苦しい眩暈が三成の視床下部を塗り潰していく。短くなる呼吸を掬いあげるように、覆い被さった家康の舌が唇の端を舐めてくる。
たりなくてもどかしくて、三成は腕を伸ばすと家康の頭を抱え込んだ。唇に噛みついて舐めまわすと、同じように余裕のない舌が絡まってくる。それだけでもう心臓が鳴く。過度の快感で骨が軋んで胸に溢れるなにかに心臓が軋んで、揺さぶられる動きに身体が軋む。
濡れた音がいやらしく聴覚を犯して、それが雷霆となって快楽神経に直接流れ込んだ。家康の熱い切っ先が深くを穿ち、三成の感じる箇所を苛めるように或いは宥めるように突いてくる。四肢が蕩けてしまいそうだ。
く、と離れた唇が頬を辿り、鼻梁がこめかみに押し付けられる。
「家康、ああ、…いえや、す…っ」
足りないとばかりに首筋に喉にと噛みついてくる家康の肩を爪でぎしぎしと掻き毟って、三成は焦げ付くような感覚にのたうった。
二人分の感覚が混線して感情と感覚が入り乱れる。耳鳴のなかで家康の声だけを必死で貪る。
「三成っ」
家康の歯に耳朶を齧られた瞬間、三成は果てに達していた。容赦なく収縮する内壁に搦めとられて家康の腰が震える。慌てて引き抜こうかと蠢いたその腰に、反射的に三成は両足を絡めた。
逃がさないと決めたのだ。全ての矛盾を知りながらなお家康が切り捨てたなら、矛盾と知りつつ奪ってやる、それが今の三成が辿りつき選んだ終着だった。
腰を引き寄せてぴたりと密着する。
「っく、…!」
離さぬとむしゃぶりつく一層の締めに、とうとう家康が達した。飛沫が奥を撃って焼け付くような愉悦が三成の脊髄を震わせた。こんな風に共に果てまで飛んで、堕ちることができるのならば、どうして今生でその手を掴むことが出来ない道理があるのだろうか。
家康の手が何度も頬を髪を撫でてくるのを、三成は陶然としながら受け入れた。絡めた手足は家康の熱が移り、陽に焼かれているようだ。どんなにぐずぐずに熔けて蕩けて深く繋がっても、粘膜を隔ててふたつのものはひとつになれない。それでも限りなく近づける。
微かに空気が揺れた。声は無い、けれどそれはかそけき振動となって三成の胸に伝わった。抱きしめた身体が震えている。嗚咽なのだと三成はぼんやりと思った。声も出さぬのかと思った。
「……臆病者め」
臆病者の癖に恐ろしいほど心が強く、呆れるほど忍耐強い。そしてかなしいほど優しい。始末に負えない。
返事は無く、ただ、震える手が初めて、縋るような切なさで三成の背中を抱いた。
弱さも痛みも捨ててはいけない。それは必要なものだ。もし不要なものがあるとしたらそれは、家康自身の「個」たる意志だ。光は皆のものでありそれは一個人に左右されてはいけない。そんなもの一つで泰平の世が贖えるというのならば易いことだった。
静かだった。
月の光はまだ弛むことなく降り注ぎ、半ば開いた障子の隙間から室内に射し込んでいる。
光は白いが、何故か三成の肌には蒼く影を落としているように見える。銀色の髪がまるでその月光を凝らしたかのようだった。痛みを伴うこの光は、いまだ止むことなく家康の胸を苛んでいた。そのことに気づいて家康は途方に暮れる。
腕を伸ばしてそのまま畳の上に静かにおろせば丁度、指先から三寸と少し先に眠る三成の身体があった。死んだように眠る男で、静かすぎる呼吸に慣れないうちは傍らで眠っていてもふと不安になって、夜半にそっと手を触れて確かめたものだった。
ほんの少し、手を伸ばしてその頬に触れようとして衝動を殺す。
音にならぬ溜息をついて家康は眠る三成を見つめた。何故あのとき触れてしまったのだろう。引き返すべき地点であったことは、当時の家康は気づいていたはずなのに。甘い夢を見ていたのか。
臆病者め。
胸中で呟いたものは己に対する楔であった筈なのに。臆病者なのに抱く理想は大きく貫く意志は強かった。後悔はしないと決めた筈だというのに、家康はまた悔いているのだろうか。
「なあ、三成、三成。おまえは変わらんなあ。曇りないな。羨ましいほど一途に曇りなく美しいなあ。ワシの汚れた手にはやはり、到底触れられない」
囁くように呟いたそれは胸に仕舞い込んでおくには大きくなりすぎていたのだ。その所為でこの男には絶望しか与えられず、たくさんのものを徒に奪ってしまった。やはり、だとしたらそれが家康の咎なのだろう。
畳に落ちた手は三成に触れることなくわなないた。陽の光になっても無力な手であった。また、振り返ってしまったのだ。三成の声に。
(こんどこそさよならだ。石田三成)
家康は投げ出していた己の膝を抱えるようにすると黒衣の被り布を引き上げて深く被った。そうして暫くの間、じっと頭を垂れたまま動かなかった。
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20140324
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