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「なにをしているんだ」

呆れたような声音があって、三成はのろのろと視線だけを上げた。
燃えるような夕陽の紅蓮はいつしかなりをひそめて夜の帳が薄く降りはじめている。床の上に焼き付いていた格子の黒い影は薄闇に消え、空っぽの座敷牢の中にはさやかな月影が忍び込んでいる。八日月は今やだんだんと細く尖り、むら雲を透かして露台の欄干と男の陰をぼんやりと夜目に浮かび上がらせていた。
格子に背を預けたまま動こうとしない三成に家康は軽く腕を組んで首を傾けた。

「部屋に居ないと聞いたが、まさかこんなところに居たのか」
「捨て置け」
「ワシはそれでもいいが、小姓が困っている」

にべもない三成の言葉にも特に鼻白むことなく淡々と返すのは、家康が言葉通り特段関心がないからなのだろう。自身の居室とはいえ本丸の奥まったこの座敷牢までわざわざ上ってきて、口にするのは松永に命じられている決まった日課のことだった。夕餉の膳は部屋に運んである。茶は小姓を呼べばいい。

「あまり困らせてやるな。肩の調子は問題ないな?」

肩の傷は癒え、包帯も取れたし薬ももう要らなくなった。以前と変わりなく動く手に、無い物は刀だけだ。また震えが手指を襲って三成は左手を握りしめる。何故、この男は思い出さないのだろうか。三成とのあの日々を。これほどまでに三成は苦しみながらも欠片たりとも忘れられないというのに。
動かない三成にもう一度吐息をつくと家康は腕を解いた。

「じゃあ、ワシはもう行くぞ」

踵を返そうとした家康の黒衣の長い裾が夜風にゆらりと揺れる。黒地に白の流煙紋様が染め抜かれている。同時に鼻先を掠めた薫香の香りにはっとして三成は顔を上げた。

「お、い」

低い三成の声は獣の喉奥で唸るようなものに似ていたが、家康の耳には届いたらしく振り返った。月の薄い光がしっかりとした鼻梁と怪訝そうに顰められた眉根を照らした。

「なんだ?」

問いかけに三成は答えなかった。しかし聞き間違いではないようで、視線は真っ直ぐに家康を向いている。月光で一層に蒼褪めた頬に凄艶な表情が浮かび、翡翠に似た色味の目双眸が爛々と家康を射抜いて耀いている様は、文字通り獣にも見えた。
また溜息をつく羽目になりながら、家康は座り込んでいる三成の前まで戻った。距離が近づいても三成は顔を動かさないので視線が合わなくなる。銀髪のつむじを見下ろしたまま話すのも違和感を感じて、結局家康はばさりと長衣の裾を片手ではたくと膝をついて三成と視線の高さを合わせる。覗き込んで目が合ったのは恐ろしいほど綺麗な双眸だった。

「どうした、凶王殿。なにか言いたいことがあるなら―――」

家康のやや億劫そうな口調にも関せず、三成は家康の手首を掴んでいた。どちらかというと筋ばって細い手指が、化け物じみた力で手首に食い込む。みしりと骨が軋んだ気がしてさしもの家康の頬も痛みに引き攣った。近づいて濃くなった香りに三成は目をぎょろつかせて家康を睨めた。これは麝香だ。これを焚きしめているときの家康を三成は何度か見たことがある。身体を清め主君好みの飾りを付けて、そうしてこの薫香の香りを纏っている。誰かの閨に呼ばれる前だ。逆光の中で家康の耳に朱と金の珠飾りが揺れている。ぐるぐると三成の腹の深くで獣が唸った。黒い毛並みがざわざわとざわめいている。

「松永のところか」

三成自身思った以上に罅割れた声が出た。家康の金色の目が瞬いてそれから何の躊躇いもなく頷いた。

「ああ、だからもう行かねば、―――っ!?」
「誰が」

言い終わる間のなく家康の身体は勢いよく板間に叩きつけられていた。あまりに前触れもなく唐突なことだったので、家康は受け身さえ取れずに通廊に転がった。

「行かせるか…っ」

暗い熱を孕んだ声が背中に滴り落ちてきて、家康は本能的に感じ取った。これはよくない。咄嗟に手をついて起き上がろうとした脹脛を踏み拉かれて再び床に這い蹲る。黒衣が捲れて三成の手が山査子色の飾り帯を乱暴に掴んだ。引き千切るように解かれる帯と一緒に膝頭が尻を押さえ込んで身体を縫いとめる。容赦なく体重の乗った本気の気配だった。

(まずい)

伸ばした手が座敷牢の黒檀の格子に触れる。掴む。身体を起こそうと縋れば、背中にのしかかった三成の片手に手首を捩じり上げられて指先が離れる。拳で肩を殴られて完全に床に這う。剥き出しになった背中を三成の冷たい掌が這い上がり、首の後ろに濡れた感触と痛みを感じた。咬まれたのだ。

「……!」

荒い吐息が耳の後ろに触れて衣の下を蛇のように三成の手にまさぐられる。背骨の椎骨を一つずつ引っ掻くようになぞっていく指先に、じわじわと身体が熱を上げ始めるのに家康は歯を食いしばった。

「きょう、お……」

静止の言葉を口にする前にもう一度、今度は肩の肉に牙を立てられて身体が跳ねた。ぬるぬると舌先が骨の窪みをなぞって上に上がり、頸動脈を舐めていくのにぶるりと背筋が震えてしまった。黒と白で斑になった灰の上にぽつりと火種が、落とされる。
筋肉の筋から肋骨の上を数えるように這い上がり、胸にきつく爪を立てられた。三成の指は酷く乱暴でそのくせ怖ろしいほど切実だった。刀傷の痕を爪が辿って銃創の窪みをくじられ、堪らず浅ましい欲求に腰が揺れる。心臓に直接触れられるような目の覚める感覚に、一瞬で熾火が爆ぜる。触れてくる掌は冷たいし背中に覆い被さる気配は殺意に似た鋭さで肌を切りつけるのに、首筋にかかる吐息だけは焦げ付くほどに熱くて切なくて、二つの温度に家康の胸は引き裂かれそうに悲鳴を上げる。

「きょ、う……おう、どの―――、これ以上は、だ、」
「家康」

荒々しい吐息に紛れた声音が、なぜこんなに狂おしいほど胸を穿つのか。

「私を、拒むな……」

零れ落ちた声音に心臓を貫かれて家康は喘いだ。抵抗のために強張っていた四肢の力が緩んでしまう。理屈など吹き飛ばすその響きを、何処かで知っている気がしたのはただの感傷だろうか。それでも押さえつけられた肩の痛みを凌駕するなにかに、射抜かれて途方に暮れたように竦んだ。
何度も何度も三成の牙が首の後ろを咬む。痛みに混じって確実にそれとは違う感覚が、快楽の滴が皮膚の下を野火のように広がっていく。覚えのある熱が下に落ちていく。脇腹のうねりを捉え傷痕を掻き、頸椎に唇を落としてくる。家康の急所に近い性感を知り尽くした手指の動きは無惨なほど確実に家康を追い詰めた。

「あ、っ、…うっ、!」

身体の前へと潜り込んだ三成の手指が胸の尖りを探りあて、抓み上げる。既に熟れて硬く尖っていたそこを執拗に捏ねられ、羞恥と快楽が火花になって瞼の裏に散っていく。びりびりと疼痛に似た甘い痺れが腰骨を通って、解けた家康の唇から甘い喘ぎが零れた。ぎりりと撓んだ背筋と一緒に三成の膝頭が内腿を割る。手荒く黒い袴と飾り帯を引き摺り降ろされた。剥き出しになった肌に冷たい夜気が触れたが、身体の熱は一層に燃え上がった。松永のところに行く前だったから勿論、下帯は締めていなかった。既に勃ち上がって先走りを滴らせている己の陽根が解けた袴に押し付けられて目が眩んだ。

「……っ」

強く腰を掴まれて持ち上げられ、家康は前のめりに腰を上げた獣の姿勢になる。尻に硬い感触を押し付けられて、膝が震え腰が砕けそうになった。あれほどに苛烈でなにをも受け入れないような気性の男が、欲しているのだ。その事実に気付いて息が止まりそうになった。
朦朧とした意識の中でただ、背中に覆い被さる三成の気配だけが胸を刺し貫いている。抵抗などできない、いや抵抗を身体が受け付けない。それとも心が受け付けないのか、混濁する。

「家康、……いえや、す、」

譫言のようにして三成は名を呼んだ。
目の前に曝された逞しくしなやかな首筋に血が滲んでいる。何度も付けた咬み痕もまだ足りないとばかり心臓が逸る。家康を前にすると苦しいほどに暴れる胸の内のなにかに駆り立てられて、持て余して、衣の下から覗く素肌に唇を這わせては歯を立てて、それでも足りなくて咽ぶ。
苦しくて、かなしくて、憎くて、それでも手放せないほどに。後戻りなどできない場所まで既に来てしまったのだ。
掴んだ尻肉を押し広げ、たらたらと伝う先走りと己の唾液で濡らした指を後孔に差し入れる。少しの抵抗ですぐに異物を受け入れた柔らかな内壁の感触と隘路の熱さに劣情を絞り上げられて、腰が痛むほど張り詰める。香油のぬめりがある。同時に予め男を受け入れるために準備されていた其処にその理由を読み取って、目の裏が焼けるような気持ちに歯軋りする。けれど腰の熱は萎えるどころかいっそうに猛り、先を渇望した。
絡みつく粘膜の襞をかき分けて探り入れ、指を増やす。三成の指に呼応するように淫らにうねる背骨の美しさに、噛み殺した喘ぎに、蘇る記憶を夢中で手繰った。身体の下でのたうつ家康の四肢に三成は過去と現在が混濁して己は今、現実と過去の記憶の中のどちらに居るのかわからなくなる。
挿しいれて奥、指に触れる柔らかな箇所を軽く押すようにすると途端に頑強で若木のようにしなやかな腰が撓った。家康の殺し損ねて甘く掠れた声が三成の腰骨を鋭く刺す。

「あ、ああ、だめ、だ」
「うそを、つくな……!」

貴様はいつもそうだ。だから、私は。吼えるように罵倒を返した三成の声も掠れた。
愉悦に追いつめられてびくつく背中を押さえて、指を抜く。この期に及んで逃げをうつ腰を掴んで捕えると、袴を解いて硬く育った己の切っ先を其処へ捩じ込んだ。家康の腰が持ち上がり、拒絶と反対に身体は異物の侵入を受け入れようと浅ましい動きで応える。ぬるり、と絡みつく内壁の狭さにこめかみが痛むほどの快楽が三成を襲う。

「く、ぅ」

馴染むまで待つ余裕などなかった。行きつ戻りつ狭隘の肉をかき分けるように剛直を押し入れては追い詰める。暴虐な腰の動きに合わせて捩れる背筋と脊椎の様がたまらなく厭らしくて綺麗で、どうしようもない。逃げようとする腰を両手で掴んでいるから、三成はその背中に唇を寄せた。上体を折り腹と背がぴたりとくっつくように覆い被さると、深さと角度が変わって家康の中がきううと締まった。

「あ、ああ……っ、ん!」
「く、」

苦しくて嬉しくて悲しくて、そうしてたぶん求めているものを手に入れる愉悦に三成はどうすればいいかわからずに、胸に溢れ返る衝動のまま家康の背中を咬んだ。頸、背中、肩、腕。くちづけよりも愛咬にしてもきつい咬み傷。咬むたびに家康の身体がびくつき、ぐちゅぐちゅに熔けた隘路が蠢いては三成を痺れるような甘い締めで苛む。

「い、えやす、っ」

唸り声に家康の手指ががりりと床板を引っ掻いて爪先がぴんと張った。淫らがましく打ち震え、必死で腰を支える内腿に手を這わす。弦月に反る腰に浮いた銃創の窪みに指を入れてくじるとまたきゅうんと熱い襞が三成に纏わりついてくる。視床下部を塗りつぶそうとする白に抗うようにして三成は家康の胸をまさぐった。どくどくと早鐘をうつ心臓に触れて、思わず溢れそうになる涙を堪えるためにしなやかな首筋に噛みついた。

「あ、あ……もう、もう…」

無理矢理に片手で顎を掴み振り返らせる。背後から貫く三成を苦しげに振り返った家康の双眸に心臓を貫かれて三成は悲鳴を殺した。劣情に彩られてとろりと熔けた金色の目。甘い声。其処に嘘はなにもない。剥き出しのありのままの家康の感情の綾だった。取り繕う余裕も無く仮面の剥がれたそれ。切なげに三成だけを見る。
こわい、かなしい、くるしい、つらい。ほんとうは、もっと。
思い出す。この限りなく近づける一瞬だけ、本音が零れ落ちるのだといつの頃からか無意識に気づいていた。家康の剥き出しの魂にともすれば触れ得るかもしれない、その刹那を、無意識にも渇望していた。

「あ、ああ……」

己が何を欲していたのか、三成は正しく理解した。

(これのどこが処理だと思っていたのか)

己の欺瞞に三成は嘲笑が零れそうになる。もっと違うものだった。
建前を口にして真実に目を向けようとしなかったけれど、答えは既にでていたのだ。三成は見ていなかった。気付かなかった。そしておそらく家康は自ら目を逸らして蓋をしたのだ。何故なら三成と家康は生き方が違い互いに相容れることはできなかった。
憎しみはそれ自身で愛ではない。けれど愛は憎しみになりうる。
苦しくてもどうしても魅かれずにはいられなかった。ただそれだけが事実なのだ。
渇望のままに三成は家康の唇に噛みついた。喘ぐ唇の間に舌を差し入れて歯列を辿り、慄く舌を絡め取る。咬みちぎりたくなる衝動を耐えることさえも甘美で、天鵞絨のような弾力とぬめりに奥歯が震える。夢中で唇を合わせたまま、体位を入れ替え乱暴に片脚を抱え上げ深く突き入れた。三成の牙ががりりと舌先を咬んだ瞬間、家康は逐情した。ぎゅううと収縮する内壁の熱さに快楽中枢が焼き切れて三成も果てた。
ぐったりとした背中に爪を立てて三成はただ名を繰り返すしか出来なかった。言葉にならなかった。

「いえや、す……家康、ああ、」

家康、貴様はどうだったのだ。本当は、なんと言いたかったのだ。
誇らしげに語る理想を大それた野望だと言った。明るい真っ直ぐな眼差しで語る綺麗ごとだと思った。大切な主君を殺した悪逆を憎んだ。裏切り、あらゆる絆を三成から奪い去りながら、同じ声で平然と絆を説いた、その矛盾と醜さを呪った。何も言わずに己の目の前から去ったことを恨んだ。けれど、考えもしなかった。その裏で家康がたった独り、一体何を犠牲にしていたのか。
だとしたら天下はどれほどの重みをもって、ただ独りで背負った男の魂を押し潰そうとしたのだろうか。





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20131215