*




伽羅の香りに家康の体は反応する。
いや、伽羅だけではない。其処にかすかに混ざる硝煙の匂いが原因かもしれない。幾度も戦に出ると血の臭いに慣れる。火縄の臭いにも血と泥が混じる臭いにも傷口が爛れ肉が腐る死臭にも。刃が肉を裂く感触に慣れる。拳が骨を砕く抵抗にも慣れる。掌で命が断たれる感触にも。体は速やかに反応し順応し、時には当人の精神をも置き去りにする。肉薄する殺気にどのように反応すれば生き残れるか。相手を屠れるか。
それと同じだ。伽羅と火薬の匂いが決まった比率で交じり合う、それに反射的に家康の体は反応をする。それは前兆だからだ。繰り返されれば否応なしに骨身に刻み込まれる倣い。それは生存本能と似ている。
予定調和のように与えられる掌の感触に応えるように、肌の温度が一段上がる。帯は既に解かれている。正面に座する松永は片手を伸ばして無造作に家康の腰帯を解いた。彼の指の傲岸さを咎めるように鋭い衣擦れの音を立てて腰衣飾りが床に落ち、それを追うように解かれた帯が落下する。まるで物の包みを剥がすような手つきで纏っているものを剥がされるのはいつものことだ。
家康の肌を撫でる松永の手はやや冷たい。相応に年を重ねているはずなのに乾きすぎても水っぽくもなく、皮膚を隔てて漲る強靭な力が伺えていっそ恐ろしい。
練色の羽織が足元に落ちている。漆黒の上質な肌触りの単衣の肩に解いた黒髪が流れ落ちている。それを見つめながら家康は唇を噛んで松永の愛撫を受け入れる。瞼、咽、唇の端、鎖骨を通って心臓の上を斜に辿っていく指先の絶妙な触れ方にじとりじとりと熱の雫が身体を巡っていく。
男は検分するような目つきで家康の裸身を眺めている。鞘から抜いた業物をためつすがめつするような眼差しは、冷えていながら同時に燻る熾火のように家康の肌を焦がしていく。その温度差に惑わされぬように家康は己をつなぎとめておくしかない。
脇腹を横断する刀傷、鎖骨の窪み、均整の取れた鍛えられた肩から腕の線。妖しい陰影を描く腹筋の窪みと続く曲線を描く鳩尾。銃創。腰椎近くを彩る裂傷と適度に骨の浮いた腰―――その、下まで。それから咽元を蹂躙する火傷と爪痕。
松永の漆黒の眸は焔に似ていながら、燃えるような熱さをもたない。それは冷気に似た低温の熱だ。近づくだけで痛みを伴うそれは、厄介で危険だ。触れた当初は焼けるような熱さをもたらさない。熱いと気づいた時にはもう遅く手酷い火傷を負う、あれだ。
触れられる箇所から徐々に燃え上がっていく火に抗うために家康は余所事を考える。最後には抗えないことはわかっているが、それでも最初から何もしないのとでは随分違う。胸の尖りを撫でられ鎖骨に歯を立てられたところでかみ締めたはずの唇から甘ったるい呼気が零れて、思わず足先が強張った。

「凶王殿は」

溢れそうになった嬌声を噛み潰すために口走ったのは何故か月色の髪のあの男のことだった。事の最中に極力言葉を抑えようとする家康の珍しい様子に、松永は少しだけ顔を上げて眉を眇めた。

「閨でほかの男の名を口にするとは、卿も見上げたものだ」
「あ、弾正、どの…」
「構わんよ、続けたまえ」

機嫌を損ねる様子も無く松永はく、と咽奥で少しだけ微笑った。その間も手指は身体の下に組み敷いた家康を快楽の火で苛んでいる。

「凶王がどうしたのかね」

耳朶を食むようにして囁く松永の声音は甘くも、酷く冷ややかに響く。じり、とまたあの肌を焼くような感覚に襲われながら家康は小さく息を呑んだ。焚き染められた伽羅に混じって、戦場ではないのに血と硝煙の香りが強くなる。抱き竦めるような体勢で、のしかかる松永の寄越す凄艶な眼差しが家康の深いところを刺激する。

「ワシを憎んでいる……」

黙ったまま松永は首を傾けた。さらりと流れた黒髪が家康の肌の上を這い、 情欲がじりじりとの膚を焦がす。動けないままの家康は触れてくる松永に首筋の柔らかい箇所に歯を立てられ、息を詰めた。密やかな吐息が耳朶にかかり、快楽神経ごと皮膚を焦がすようだ。つう、と彼の指先が肩の後ろの傷跡をなぞる。

「そうだな」
「しかし、……ワシは覚えて、い、、ない…っ、ァ、!」
「嗚呼、そうだなあ」

爪の先で古傷の痕をなぞる感触にざわりとの中で何かが燃える。これは、嫌悪ではない。もっと厄介なものだ。埋め火が煽られ静かに火の粉を落とす―――それが、家康の左胸を通って下腹へと滴り落ちていく、その残滓の焦げ付きの甘美なこと。
思考をかき乱そうとする甘い毒の痺れに抗うため、必死で思考回路をこじあける。そう、三成は家康を憎んでいる。あれほどの激甚な憎悪を抱くほどのことが、かつて彼と自分の間にはあったのだ。

「それほどのことを、何故ワシは、忘れ、て、」
「愚問、だなあ東照。卿の聡明さは買っているのだが、閨の空気で鈍っているのか」

しれっと嘯いて久秀は喉奥でくつくつと微笑った。白々しい言葉で斬り捨てる一方、それとは正反対の恭しいまでの優しい指先が脇腹の傷跡に触れた。肉の窪みに押し込まれる指の腹の感触に家康の背中はぞくぞくと怖気だつような感覚に竦み上がった。傷跡を散々に舐め弄る手指は猫が獲物を弄ぶように甚振るのだ。知っていてわざとこんなことを言う。
素肌に触れる視線と指先に焔を煽られては身を捩って、家康は歯を食い縛ろうと躍起になった。快楽神経が焼けて喉が渇く。じりりと、温度の低い熱に膚が焼け爛れていく。焼けて爛れて肉の剥がれ落ちて剥き出しになった白骨の奥から、松永は家康の心臓に宿るものを暴き出そうとする。
身を焼くような甘い疼痛に我知らず腰が浮き上がる。身体の奥が早く熱いものを注いでくれと疼く。浅ましさに目が眩む。
家康の腰をゆるゆると彷徨っていた手が腿の付け根を辿り、不意に掌を返したような凶暴さで脚を掴んだ。

「まあいい、教えてあげよう」
「だ、んじょう、どの……っ、あ、」
「忘却は卿の選択だったのだよ」

返答を許さぬ傲慢さで松永の指が奥へと挿しこまれた。ぐるりと捏ねられて肉の襞を掻き分けられ、摩擦の妙に性感がびりりと震える。物足りなさに疼いていた後孔が男の指を受け入れてむしゃぶりつくように絡まった。勝手知ったるように身の内を暴いていく指に追い立てられる。身体と心がどんどん乖離していく感覚に、家康は悲鳴に似た嬌声を死に物狂いで噛み殺した。
ひやりとした感触がして香油が足される。肌を伝う滴の感触にさえ感じ入る四肢の撓みに松永が気づかぬ筈がない。嗤笑が耳を掠めたような気がして屈辱に奥歯が鳴った。
前立腺のあたりを柔く押さえられて家康は息を呑んだ。稲妻のように過ぎる程の刺激が皮膚の直下を走り、焼けるような甘い疼きに四肢が強張る。前を碌に触られていないのに、みるみるうちに高みに駆け上がる寸前まで追いつめられる。

「あ、ああ、」
「好きにしたまえ。思い出そうと忘れようとどちらでも同じこと。結局、選ぶのは卿だ」
「……っ!」

つう、と目を細めて松永は焼け爛れた喉の傷痕に唇で触れた。じりりとの肌がまた低い熱に焼け焦げる。頑是ない涙腺に潤んだ視線を流して盗み見た松永の眼差しには、何の感情も読み取れない。暗い焔が深淵を覆い尽くして、何も見えない。いつもこうだ。松永はこうやって家康の身体をあらためるようにして抱く。肌に触れる指と視線は冷たく何の感情もない。あるのは、ただ―――愛でるべき物に対する執着心のようなものだ。高価な茶器や業物を愛でるように、彼は家康を愛でる。少なくとも家康自身はそう感じるほかになかった。
開かれた脚の間に腰を入れられる。熱く熟れた狭隘を遠慮も無く押し開いてくる男の、体温の低い腕の間に囲われたまま家康は思考を放棄しようと試みる。それを知った上で冷然と笑う松永は、正気を失わない寸前のところで巧みに家康を快楽と加虐によって甚振った。

「う、」

のしかかる松永の体が薄い月影の中でしなやかな獣のように蠢いた。無駄な脂肪の無い細身の体は、しかし猛禽のように油断の無い薄い筋肉でよろわれている。おおよそ年月というものが欠落してしまったような妖人の身体は抗いがたい艶めかしさがあった。
何もかもが狂っているように思える。この城もこの男もそれと同じ家康自身も。その理由を既に知ってしまっている。此処は化生のものの棲む城だ。
この城で家康は巡ることのない灼熱の季節のただ中に立っている。じりじりと夏の日差しのように照りつけ、炎を上げることなく膚を灼くこの焦燥に似たものが、生きたまま家康の身体を焼いて、胸の深くに這いこんでくる。

「東照。卿はこの世との繋がりを断ち、揺るがぬ心であれば私に勝てると思っているようだが」

頬をとらえられてくちづけられる。触れた唇は予想を裏切っていつも熱い。けれど家康の心臓は燻り、松永の心臓は凍り付いたままだ。この男は本当の意味で人を愛さない、それを体現するようなくちづけだ。甘やかだけれど苦いこの果実では、この灼熱の中では飢えも乾きも満たされないとわかっている。それでも家康は此処に立ち続け、与えられる果実を齧るしかすべを持たない。

「宝の愛で方は幾らでもあるのだよ。特に卿のような稀な色味に歪んだ魂はね」
「なにが…、」
「自らの意志で忘却を選んだというのに卿の魂はそれを拒んでいるようだ」

心を捨てるのは痛みを受ける以上の苦痛なのだろう。何故なら家康は人が好きだ。美しい部分も醜い部分も全てを肯定して人を愛し人と共に生き、人でありたいと願っていた。そう願いながらもその人の世を導くために選んだ道は彼を願いとは裏腹に神と成した。家康の心と魂を引き裂くのは畢竟、彼自身の矛盾そのものだ。そのいびつを松永は大層気に入っているのだ。

「存分に見せてくれたまえ、東照」


*


汗で湿って額に乱れた髪を撫でる手つきは、ともすれば恋人にするような仕草だったが、松永の眼差しはどこまでも蒐集物を愛でるものだ。満足気に手の甲で家康の頬に触れ、それから火傷の痕に触れた。

「ずっと見ているばかりではつまらないだろう、凶王」

独り言のように囁いた言葉は傍らに横たわる家康に向けてのものに見えたが、その実は半ば開いた障子の向こうに向けられていた。暫く前に現れてから巌のように微動だにしない人影に投げる。
元々隠れる気もないのだろう。ただ、半ば巻き上げた御簾の影から動かないのは、内を荒れ狂う感情を御しきれていないためか。雲が流れたのか陰っていた月影が雲間から射しこむ。白い光とともに男の影が蛇のようにずるりと畳の上を這って室内まで伸びた。三成の障子の桟にかかった指がみしりと嫌な音を立てる。
座敷牢から此処まで、案内も無く辿り着いたのは執念だろうか、はたまた家康の金気が見えるのか。相容れぬのにどうしようもなく魅かれ合う陰陽一対の魂は歪で稀有で美しい。知らぬは当人達ばかり。
松永は嫣然と微笑った。片手を伸ばして家康の涙痕の残る頬を撫でる。まるで珠玉についた瑕を愛でるように喉元の火傷痕を辿って心臓の上を爪弾く。御簾越しに三成の醸す殺気が膨れ上がった。

「貴様の、仕業か」

罅割れた声音は怨霊の呻き声にも聞こえた。ある意味、憑かれているのだろう。

「なんのことかね」

わざと逆鱗を逆撫でるようにして白々しく松永は肩を竦めると、手にした蝙蝠扇をばしりと閉じた。面白いほど思った通りの反応を返す三成は手応えがなさすぎて逆に面白みはないが、心臓を抉らんと注がれるような眼差しの苛烈さは好ましい。不純を得て変貌を遂げ始めた三成の葛藤と懊悩の綾が透けて見える。純粋ゆえに或いは家康よりも深い業の色が美しい。

「家康から過去を奪い罪を奪い、あのような座敷牢に繋いで飼い殺したのだな」

三成の吐く息が白く闇に紛れた。鳥肌の立つような陽気ではないのに、周囲の温度だけが下がっている。醒めた目で松永は三成を眺める。

「飼い殺すとは人聞きが悪い」
「虚言を弄するな!家康に忘却という逃げ道を与え、鎖につなぎ、嘗てのあらゆるものを捨てさせて人で無くしたのだ!」

返せ、と吼えた三成に対してやはり松永は鷹揚に笑っただけだった。

「心外心外。それは勘違いも甚だしいことだ凶王」
「しらをきるか!」
「口に気を付けたまえ。私のしたことではないよ。私はただ、この稀なる宝を手元に置いているだけだ」

ばちり、と松永の手の中で扇の骨が鳴った。

「そもそも、既に「人ではなかった」のだ」
「なに」
「私のせいではない。あれはもう、とうの昔に人であることを棄ててしまっているのだよ」

ひゅう、と嘲笑うように夜風が御簾を揺らし、月光が畳の上に滴った。

「なん、だ、と」

松永の言葉が理解できずに三成は瞠目したまま一拍、呼吸を噛んだ。

「卿を忘れるずっと以前から、東照は人であることを手放していた」

数多のための光を望んだ男はその代償を正しく理解し、そうしてただ独りでそれを成し遂げた。内なる闇を一滴たりとも零さずに陽光となった。その成果の一端が現に今、松永の眼前にある。三成の愚直なまでに真っ直ぐな眼差しを見事に此処まで晦まし続け導いた。家康の僅かなの誤算は三成の愚かなまでの一途さ頑なさと、運命とさえ思えるほどに相剋する互いの存在、それだけだ。その髪の毛一筋ほどの間隙に松永は静かに爪を立ててこじ開ける。ほんの少しだけ。

「長らくあれの傍に居たのだろう。卿はそれに気づいていなかったのかね」

ひそやかに、こじ開けた。
立ちつくす三成にわざとらしいほど無造作に投げつけて、手の中の家康の髪を撫でた。

「人でなくなった東照は私の火で見事に再誕を果たした。しかし、忘却は私の手の及ぶところではない」

選んだのだ、と囁く声音は酷く優しいのに悍ましい寒気と共に三成の背骨を撫で上げた。嘘だと思い込もうとするのに、やけに冷えた頭の一角で三成は松永の言葉が真実であることを確信していた。ずるりと焼け爛れた肉が剥がれ落ち、骨が剥き出しになり、心臓の、その裏に埋めてあったものが溢れ始める。暗い淵を踏み外す直前に、松永の声が三成を此岸に引き戻した。

「嗚呼、これは気の利かない真似をしたな、凶王よ」
「っ、松永」
「遍く衆生が神の前に拝謁することを許されるように、卿もまたこれに触れることはできよう」

徐に立ち上がると松永は枕元に置いてあった水差しを取った。美しい彫りの施された銀細工とギヤマンのそれを傾けて瑠璃の器に注ぐと、取り上げ、無造作に腕を振った。びしゃりと散った水が横たわった家康の顔に叩きつけられる。投げ出されたままの手指がびく、と震える。しとどに濡れた睫毛が動いてゆっくりとあの金色の目が現れるのを三成は愕然としたままで見下ろした。
濡れて額に貼りついた前髪の間から瞬きをした双眸が覗き、松永を見上げる。器を盆の上に戻しながら松永は扇の骨で家康の顎を持ち上げて、色に蕩けた名残のその目を観賞するようにした。

「気を失うには些か早い刻限だ、東照」
「そ、れはすまない、弾正殿」

顎を捉える扇を押しやって家康は身を起こした。動きに併せて火傷痕と胸元を濡らしていた水滴が流れ、腹筋の窪みを伝い落ちる。腕に纏わり付く黒衣をそのままに身体を起こすと黒い影が寝具の上に弧を描いた。古傷と愛技の痕跡が斑に彩るしなやかな身体は、業を抱きながらもそれを疾うに超えているのか。神の身体で魂でありながら人の心を抱くいびつな者。松永の愛でるに値する数少ない逸品だ。
何度も注がれた白濁が溢れて脚の間を伝い落ちる感触に、家康は無感動に眉を寄せた。散々に松永の焔に焼かれて火照る身体は家康自身のいうことを碌に聞かず、思考をも鈍らせる。だから、気づくのが遅れた。

「東照、凶王の相手をしたまえ」

促されて顔を上げた家康の視線の先、刺すように注ぐ月の光を纏った月鬼のような男の姿があった。松永の命令の意味は速やかに理解できた。家康にとって躊躇う理由は無かった。だとしたら敷布についた手の先が刹那強張ったのは、月光が目に染みただとかそういった他愛ない現象の末端に過ぎないはずだ。

「御意に」

やや掠れた家康の返答は色の名残を含みながらも無感動に響いた。気怠い腰を引き摺るように膝でいざって家康は三成の前に近づいた。半ば上げられている御簾の下をくぐり、足元に膝をつく。目の前の白練と藤の染め袴の裾がこの男に似合って涼しげだ。突っ立っていないで部屋に入るなり屈むなりしてくれないだろうか、やりにくい。跪いたまま手を伸ばして三成の帯を解こうと手を伸ばした。
と、刹那ばしりと乾いた音が虚空を裂いて、血が飛んだ。

「っ、!」

叩き落とされた手に走った痛みと傷に、家康は一瞬なにが起きたかわからなかった。見上げれば三成と目が合った。ぎらぎらと開かれた双眸は足元に降り注ぐ月光に似た色味であったと今更に家康は気が付いた。悪鬼のように激情にぎらつく目が食い入るように家康を見ている。視線に質量があったなら心臓を射抜かれているかもしれない。けれど、そこに映るものが嫌悪なのか憤怒なのかそれとももっと別のものなのか、判別は付かない。
三成は家康を見下ろしたままゆっくりと口を開いて、それから何も言わずに閉じた。そのまま三成は踵を返すと寝所から出て行ってしまった。

「剣呑、剣呑」

暗がりに消えた背中を視線で追った家康の背中に松永の低い笑い声がかかった。
これは機嫌を損ねてしまったか、とさして気にした風もない声音が呟いた。
家康は所在無くそのまま開いたままの扉の向こう、回廊へ繋がる暗闇をぼうっと眺めた。徐に歩み寄った松永の手がその顎を掴む。されるがままに振り返った家康のくちびるを盗んだ松永は月影がきつくて敵わないなと呟いた。

「ワシの所為か……?」
「さてね」

殊勝なというよりただの疑問としての問いを呟きながらも、家康の思考は何故か違うことを考えていた。
なんと言いたかったのだろうか、あの男は。





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20131215