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白く湯気の帳が降りている。
空気がしっとりと満ちていた。傷に効くといわれるが、元々治りの異常に早い身体ではその効能などあまり実感がわかない。古傷にもいいと聞いたが己の身体に残る傷痕に家康自身はあまり興味がなかった。由来も原因も知れぬ古傷などただの模様だ。
うっそりと項垂れて家康は湯舟の縁に頬を押し付けた。ひんやりとした御影石が火照った膚に心地よい。ぴしゃん、と水滴が滴る音が響いた。山中から湧き出でる湯を引いたこの湯堂は、まるで異空間を思わせる造りだった。信貴の山奥のものとは思えない。
広い湯舟は黒に雲母を刷いたような見事な石造りで、竜口から流れ込む湯を溢れさせている。湯堂は天井が高くまるで一枚岩を刳り抜いたような円形の壁に囲まれ、蒸気にけぶって夢のような光景だ。壁に所々設えられた石棚に様々、花が活けてある。
天井付近に開かれた窓からさやけき月日の灯りが射しこんでくる。
山城の主な居住区となっている屋敷群から南の本丸へと向かう途中、やや奥まった場所から繋がっているこの湯堂は城主の許可したものでなければ入ることはできない秘湯だった。
濡れて額に貼りついた前髪を上げるのも億劫なまま、家康は湯の浅い縁に腰をおろして磨き抜かれた湯舟の端に凭れる。俯せに石肌へ頬を押し付けて欠伸をした。身体の熱りは湯の所為だけではない。無駄なく鍛えられた締まった身体に薄手の湯帷子が濡れて貼り付き、つやめかしい。見事な撓りをみせる背筋や肩甲骨が薄らと透けて見える。肌の上を彩る凄惨な傷跡は若い四肢の上を妖しく蠢く獣の陰にも見えて異形の美であった。
湯の流れる音と別にぴしゃんとまた水音がする。今度は水滴ではなく足音だった。濡れた石畳を歩く下女の足音だ。綾羅を纏った若い娘が盆を携えて姿を現す。おおかた主君が呼んだのだろう。
他者の気配にも家康は身体を起こす気にはなれなかった。他人の目に曝すにしてはかなりはしたない状況だがやはりどうでもよくなって、ぼんやりと目を閉じる。家康は基本的に他との干渉に無関心だった。
娘は心持ち俯いて静かに湯舟まで近づくと一礼し、運んできた盆を縁に設けられている一段高い石棚の上に置いた。すぐ傍らの縁に寄りかかったままうとうととする家康にちらりと視線を寄越す。黒い目が瞬いて艶めいて潤んでいるのは、じんわりと立ち込める湯けむりの所為だけでは決してないのだろう。だが熱っぽいその視線にも、やはり気づくことなく家康は湯に浸っている。躾けられている侍女は無言のまま再び一礼してさがった。
遠ざかる足音を聞くともなしに聞いていた家康の耳に、今度はばしゃりと湯のはねる音がした。光の加減で琥珀にも大理石にも見える湯面が揺れ、家康の背後で気配が動く。盆の上に載っているのは見事な玻璃の水差しと、銀の器に載せられた葡萄。それと銀の杯だった。
傍らから伸ばされた腕が水差しを取り上げて杯に注いだ。そのまま銀の杯が家康の湯に濡れた唇に差し込まれる。無言のまま傾けられたそれを家康は受けるままに嚥下した。程良く冷えたそれは柑橘類の果汁で香りの付けられた清水だった。だが、例えそれが酒や毒であったとしても家康はやはり同じことをしただろう。家康に選択肢は無いのだ。
冷涼な雫が喉を通り胃の腑に落ちたところで、少しだけ頸を動かすと視界に濡れた黒髪が揺れた。
「くく、無聊を持て余しているのかね」
「……というよりは、煩わしいだけだな」
抑揚のこそげ落ちた家康の答えに、湯舟の縁に背中を預けた松永は鷹揚に微笑った。黒の湯帷子を纏った城主は水差しを傾けると杯に注いで軽く呷った。差し込んでくる陽の光に玻璃がちかちかと星のように瞬く。結いあげている髪を解いた松永は何処となくいつも以上に凄艶に見える。元々老いているとも若いとも見える不思議な容姿の男だが、髪を解くと余計にそれがわからなくなる。整った顔立ちに浮かべる表情の所為かも知れないし、黒い焔のような双眸の所為かも知れない。言葉に出来ぬ覇気にじくりと肌を焼かれる心地を覚えながら、家康は意識を逸らそうと試みる。
「この間の京洛遊山は卿の慰めには足りなかったかな」
「そういうわけではないんだが」
思い返して憂鬱に家康の眉が寄る。
滅多にこの大和から出ない松永が珍しく、京へ出向く用があると言って家康を伴った。前髪をおろし着物も変えてと面倒ではあったが、久々の外界はそれなりに物珍しくはあった。
しかし結果的にそれも外と干渉すると碌なことがないという経験が上塗りされただけだった。
大和へ戻る道すがら、松永は他の供を麓に待たせて、とある山寺に寄った。それが問題だった。
「……」
そこまで思い出して家康は左の二の腕あたりを押さえた。先程、庭先で三成に槍で打たれた箇所だ。もう痛みも内出血の跡も消え去っているが、なんとなく違和感が残るのは心象の所為だ。禅寺から連れてきた凶暴な客人のお陰で家康は松永以外にも煩わしい相手が増えてしまった。
「できればワシに構わないでくれないか」
「そうはいくまい。それは卿の業だ」
優しい声音でにべもなく一蹴して松永は徐に杯を盆に戻した。
ばしゃりと湯がはねる。そのまま片腕を伸ばすと背を向けたままの家康の片腕をとった。背中に掌をあててゆっくりと背骨を数えるように指を這わせる。ぎし、と硬直した背筋を押してそのまま家康の身体を俯せに湯舟の縁に押し付けた。
「っ…」
「ときに、東照。夢は変わったかね」
世間話をするような口調だったが、肌を這う手は容赦が無い。脇腹の筋を辿って銃創の窪みを指の腹が撫でる。過たず楽器を奏でるように性感を爪弾かれて甘ったるい痺れに目の前が眩んでいく。
「あ、…、っ、ぅ、」
腰骨をかりかりと引っ掻かれて堪らず家康は腰をはねさせた。ばちゃんと湯が散って縁から溢れかえり、浮かんだ花弁を押し流す。最前までに既に二度ほど最果てを見た身体はまだ残り火に熱っていたため、あっというまに松永の思惑通りに熱を燃え上がらせた。湯の中でしどけなく乱れて揺蕩う湯帷子の裾を割ってさし込まれた男の手指が陰茎を握る。絶妙な力加減で弱みを握られて腰が期待に崩れた。
「ゆ、め…、など」
「繰り返し同じ夢を見ると言っていただろう。変わり映えしないのかね。聞いているのだよ」
東照、と背後から囁かれる声音は毒のような甘さで家康の耳朶に滴った。ぞくぞくと快楽の波が背骨から腰へと走り落ちて、がくりと家康の膝が揺れる。
「弾正、殿……!」
湯に沈まぬように必死で縁にしがみついた家康の抗議めいた声音を歯牙にもかけず、邪魔だなと呟いた松永の手が家康の腰にべたりと絡みついている布を掴んで捲り上げる。締まった尻肉を掴んであられもなく広げた其処へ、己も湯帷子の裾を肌蹴て取り出した雄を軽く扱いてから押し付けた。後穴に宛がわれたものの感触に家康は背筋を捩って湯を散らした。
「ま、待っ、!いきなりは、むりだ……っ」
「無理な道理があるまい。卿の此処はまだ充分に解れている」
「―――っ!」
有無を言わさず硬い猛りが押し込まれた。隘路を押し開いて強引に侵入してくる質量に反射的に腰が逃げる。黒い湯舟の縁にしがみついたまま、咄嗟に前へと逃げかかる家康の腰をがっちりと掴んで、容赦なく松永は挿入をすすめた。
「あ、ああ、…―っ、あ」
「はは、卿はいつまで経ってもきついな。生娘のようだ」
「だ、れが…っ、う」
熱く蕩けた肉襞は異物の侵入に僅かな抵抗をしたものの、一度半ばまでを飲み込んでしまえば覚えがあるのか松永の陰茎の形にすぐに添った。柔らかな内壁が蠢いてねだるように絡みつくのは本人の意志とは真逆でそれが余計に淫らがましい。
「ああ、失敬。中はちゃんと覚えているようだ。見事、見事」
揶揄を含んだ声音は悪意はないが充分に家康の羞恥を煽った。わかっていて甚振るのが趣味のような男なのだ。言葉と一緒に切っ先でいいところを掠められかき混ぜられて、家康の口から堪えきれなかった声が漏れる。目が眩むような心地良さに追い立てられて、湯に沈まぬようにすべらかな石造りの縁に爪を立てるので精一杯だった。
弄ぶように後ろから突かれて湯が跳ね、家康の腰が綺麗に反る。引いては深く突くたびに、先に注がれていた白濁と香油がぬちゃぬちゃと音を立てて湯と混じり合い、結合部で白く泡立った。松永の片手は既に陰茎から離れていたが、身体の中の肉を抉り擦られるだけで家康の身体は愉悦の高みまで駆け上がることができた。触れられてもいないのに張りつめた前は湯の中でたらたらと先走りを溢れさせている。
「弾、じょ、…っ、ああ、も、」
頬を濡らすのが湯なのか汗なのかまたは涙なのかわからない。最奥まで満たされて揺すられるたびに家康の思考が瓦解していく。快楽に耳鳴りがする。首筋を咬まれ、濡れて張り付いた衣の上から尖った乳首を捏ねられてかっと腰が燃えた。
「く、…締まった、な」
「っ、ん!」
低く掠れた松永の声が耳を掠めて余計に中が収縮した。抗おうにも家康にはどうすることも出来ない。己の身体なのに厄介だ。そんな思考さえすぐに嵐にもみくちゃにされて、のこるのはただもう、もっと、だとかいきたい、だとかと思う浅ましい欲望だけになる。巧みな腰に突かれ、かき混ぜられる摩擦に内壁や、奥の敏感な箇所がぐにぐにと擦られて堪らない。
「や、も…、」
不意にぐいと一段と深くまで突き入れられる。覆いかぶさってくる松永の身体を背中に感じると同時に無遠慮な指が口の中に押し込まれた。ぶちゅりと柔らかいものが潰れて甘酸っぱい汁が舌の上に溢れる。葡萄の粒だ。そのまま松永の指が咥内を蹂躙する。指の腹で舌を摘まれて、ぐにぐにと果肉ごと弄られる感触が快と不快の紙一重でこめかみをむずむずと刺激する。指が邪魔で閉じられない顎から血のように葡萄の汁と涎が滴った。
「あ、ああ…っつ、あ」
身体の奥を突くのに合わせて指先が舌を摘み弄る。上と下から同時に性感を犯されて全身の血がさざめいた。目の前が明滅するのは飛翔から転落への前触れだ。一段と深く腰を入れて松永の摩羅が弱みを突いた。指を引っ掛けられたままの顎を引っ張られ無理な体勢で振り返らされ、後ろから抱き込んできた男の唇が唇に重なる。ぐちゅ、と上と下両方の結合部から卑猥な水音が鳴る。あっと思った時には絶頂に突き飛ばされて家康の意識は一瞬だけ白い闇にトんでいた。骨が軋むほどの快楽のいかづちに撃たれて総身が引き攣る。悦楽が過度すぎて吐精できないまま絶頂に到達させられる。
ぎゅう、と食い締める内壁の圧迫に促されて松永が一拍遅れて吐精した。二度、三度と注がれる感触にぶるりと背骨を震わせながら家康は朦朧とした頭で、夢のことを思う。
闇の中に立っている夢だ。足元だけがぼんやりと明るく、自分はいつも青白く光る石畳のような足場に立っている。どこからともなく獣の声が聞こえてくる。ただそれだけの夢だ。
「夢、は……変わり映えしない、な」
「そうかね」
家康の乱れた吐息に含まれる答えに、松永はそうとだけ言って手を伸ばすと、気に入りの業物を撫でる様な手つきで青年のその黒髪を撫でた。
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20130928
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