序幕 あずまより
抱えきれず溢れるほどのものであるならば、切り落としてしまうことも選択の一つだ。それは悪いことではない。
忘却を逃げだと元親は思わない。人間の身体が防衛本能でもって己の一部を切り離すことは、生存のための手段である。痛みを抱え続けることは実際には想像以上に心を磨り減らす。人とは奇妙なもので五体満足でありさえすれば生きていける、というわけではないらしい。「生」の定義を如何に定めるかで違いはあるが、少なくとも「人」である以上、生物学的に呼吸をしていることだけが生きていると形容するに難い。だとしたら生きるために傷口ごと己の一部を切り捨てるように、痛みの記憶を捨て忘却を選んだとてなにもおかしなことはないのだ。
存外、なんとかなるものだと開いた書簡の結びまでを読み終えたところで元親はそう思った。全てが上手くいったとは到底思えないが、それでも物事はゆるゆると進んでいる。夥しいものを犠牲にしても時間が流れるように、あらゆる物事は時と共に立ち止まることを許されない。
天下を分けるかとされた関ヶ原の大戦が両軍壊滅という状態で終結して以来、日ノ本の国はその名に違い日の隠れた混沌の乱世へと再び立ち戻った。首謀者が誰かは未だ知れず。ただ時同じくして天下の雄たる者が相次いで斃れたことは、この国にとっても酷い損害だった。
奥州の竜とその右目、及び甲斐の虎の子とその配下は悉く討ち死にした。魔王の血縁も途絶え、軍神も沈黙のうちに隠れてしまった。関ヶ原を蹂躙した第三の勢力は悪夢のように前触れも気配もなく、まして痕跡さえ残さずに東西両軍の中枢を壊滅させたという。大谷と本多の屍転がる戦場を通り抜け、元親がその場に辿りついた時は全てが終わった後だった。
焦土に独り残されて譫言を呟く重傷の三成を抱き起こしたところで、元親はその凄惨な現実を漸く知ったのだった。
家康を目の前で殺されたという三成は幽鬼のように成り果てていた。さもあろう、家康への憎悪を燃やすことで命の火を灯し、己を保って生きてきたような男だったのだから。
火傷を伴う酷い傷が癒えても三成の様子は変わらず、誰の手にも負えなくなった彼を元親は寺に託すことにした。四国に連れてくることも考えたが、当の三成が憑かれたように大坂の地を離れようとしなかったし、国元に連れ帰るのも元親自身、抵抗があった。先の四国壊滅の片棒を担いだ大谷は死んだとはいえ、彼は三成の臣下だった。知らぬ存ぜぬだけで全ては通らない。今や全てを失ったその男を単独、四国へ連れ帰るのは死地へ連れ込むようなもので危険でもある。元親の国の傷もまだ癒えてはいないのだ。
結局、孫市の伝手を借りて堺に近い寺に三成の身柄を預けることにした。
文机の上に広げた書簡は寺の住職と定期的にやりとりをしているものだ。同時に孫市とも連絡を取り続けている。いびつに歪んでしまった乱世で、警戒すべきことは多すぎる。僅かに残った為人を知る人物は貴重である。
一度目を通した書をもう一度最初から目で辿りながら、元親はひとつ伸びをした。開け放した障子の向こうから、潮風が流れてくる。ややきつい風向きは時化の前兆の匂いだ。荒れるか、と呟きながら墨の後を目で追う元親の心は、久々に穏やかだ。
寺に預けた最初の頃は三成の様子も酷かった。悪夢に魘されるの昼夜まんじりともせず、幻影を見るのか不意に抜き放った刀で障子や柱をずたずたにした。ものも碌に食わず生活もままならず会話は成立せず。開いた唇から迸る唸り声に混じるものは、ただひとつの失われた名ばかり。
寺の者と孫市がつけてくれた部下とで世話をし、暴れるたびになんとか抑えているのがやっとだった。当時足繁く通った元親や時折顔を見せる孫市や慶次とは、たまに会話をすることもできたが、それでも彼を人と呼ぶには程遠い。まるで手負いのまま死ぬに死ねない獣のような姿だった。
いっそ、撃ち殺してやれば楽にさせてやれるかと、血迷った考えが元親の脳裏に過ることがなかったといえば嘘になる。憎悪を糧にして生きることはとても辛く苦しい。もし己の裡にそれしか無かったのならば、奪われれば、やり場のない痛みは生きる糧に変えることさえできずに全て己の裡に蓄積し自身を蝕むだろう。三成ほどの穢れない真っ直ぐな魂の持ち主ならば一層だ。辛かろう。
かつての自分自身と似たものを元親は三成に見ていたのかもしれない。四国壊滅を家康の仕業だと思い込んでいた時、元親は家康に裏切られたという憎しみが全てだった。大切で愛おしい親友だったからこそ余計に目が眩んだ。
けれど生殺与奪は元親の手には無い。
孫市に頬を打たれて碇槍を降ろした元親は三成を見守ることに決めた。たとえ自己満足であっても、勝手に元親が三成の姿にかつての己と似たものを見出したとしても、理由はなんでもよかった。元親は自分の為にそうしたいと思ったのだ。孫市のお陰で壊滅の真実を知ることができたものの、結局元親は家康に会うことが出来ないままだった。悔やみきれない暗澹たる思いを残したまま元親は此処でまだ立ち竦んでいる。なにか今の己に出来ることをしなければ、元親は動けないままだ。
孫市はからすめといつもの口調で呟いたが、それを咎めるつもりはないようだった。
各々の傷口の深さにも痛みにも関係なく否応なく時間は過ぎる。月日のお陰だろうか、最近漸く鎮まってきたという三成の様子を綴った住職からの手紙は、四国から雑賀、はては三河まで統治のために日々奔走する元親にとって数少ない朗報だった。相変わらず幽鬼に似た形相と無の様な眼差しは変わらないが、人の暮らしをして僅かばかり言葉を交わすようになったという。
依然行く手に暗雲は立ちこめたままだが、僅かながら前進しているのだと、思う。
(よかった、なあ。ああ、よかったぜ。なあそう思うだろう?)
一筋の光をみた気がして思わず口元を緩ませた元親の脳裏には、こんなときに無性に会いたくて仕方がない男の姿が過る。
(家康、なあ。お前なんで、なんで此処にいねえんだ)
胸の内を苛む痛みに息を殺して元親はその名を口の中で呟いた。忘れられない、忘れたくはない。思い返して噛みしめるたびにふと思う。三成はどうなのだろうか。例えば、三成はもう忘れることでしかあの傷を乗り越えることができない場所まで来ているのだとしたら。
(だとしたら、あいつは切り捨てることができるか?)
三成は忘れ去ることができるだろうか。己の一部となるほどの激甚な痛みであるというのならば、縫い閉じることの出来ない傷口ごと切り捨てることは、手段であって謗られることではないと思う。どんな形であれ乗り越えなければ、先へ進めない。
(久々にツラ拝みにいくかあ……)
先の予定をぐるりと脳内で手繰り寄せて、元親は畿内へと足を伸ばすことに決めた。
中国の毛利は関ヶ原の顛末を知ると、状況を鑑みて手早く自軍を引き揚げてしまった。己の国を脅かすものが無いのであれば、関わらぬという姿勢を貫くらしい。お陰で元親は(彼自身の性格も相まってのことだが)多くの後始末を被った。
崩壊した西軍の領地は散り散りになったが、大坂は孫市の手を借りつつなんとか抑えてある。三河にも手を伸ばしたのは元親自身の矜持で意地だった。四国だけを治めふらりと船を駆る日々を手放すのは性に合わなかったが、それ以上に今やるべきことを自覚しているからだ。
三成の領地と軍も崩壊したが、彼を慕う人々も、居ないわけではない。いつか当人が望んだ時にはこの地に三成の戻ってくる場所があるように、それが元親の勝手な願いだった。誰もかれもが自分勝手だ。自分勝手にだが必死で今、己ができることを成し、足掻いている。
もう一度書を眺めて天井を仰いだところで、開け放した障子の向こう側、廊下を歩く足音が聞こえた。アニキ、と聞きなれた部下の声がする。
「おう、丁度いいや。海の様子はどうだ」
声をかけながら、元親は返事をしたためるために筆を執った。一段と強く吹き込む海風は、まだ止みそうもないが。
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20130906
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