告白をして振られた場合、泣くのは告白して恋破れた方だ。だとしたらこの状況はなんだろうかとスペインは思う。泣きたいのはこっちだが、しかしまだ玉砕はしていないと信じている。それを証明する為にもともかく、眼前を塞ぐ扉をなんとかせねばならなかった。
内側から施錠された扉に耳をつけてみると案の定、啜り泣きが聞こえた。見飽きるほど見た彼の泣き顔が簡単に目に浮かぶ。その涙を拭ってやれないのがもどかしい。だが、この扉を閉ざしたのはその本人だ。
「なあ、ロマーノ。なんでなん?ちゃんと説明してくれな、紊得でけへん《
「う、るせぇ。そんな、……わかれ、ばか……っ!《
「わかれもなにも、俺は別に難しいこと言ってへんよ《
扉の向こうから聞こえる嗚咽混じりのロマーノの罵声に畳み掛ける。一層に泣き声が増したようで、スペインは焦燥感に似た気持ちに駆られる。あの子はなにを頑なに思っているのだろう。
ずっと好きだった。愛している。今更かも知れないが、明確に言葉にするのは初めてだった。スペインなりに機をうかがって喉奥で噛み潰してきたそれを、ようやく告げることが出来たというのに、ロマーノはいつもの戯言かとばかりに取り合わなかった。
確かに普段の言動を鑑みて、そう取られるふしはあったとうっすら思ったが、(フランスにお前気安くロマーノに好き好き言い過ぎ、と言われたことがあるが、好きなのだからしょうがない)状況からしても意味の重さが違うとロマーノでもわかったはずだ。
あくまでまともに取り合おうとしない彼の態度にそれならばと、スペインはその細い手首を掴んでのしかかり、唇を唇で塞いだ。舌を絡めて舐めたところで、その天鵞絨のような感触にうっとりする隙もなく、思い切り爪で引っかかれて近くの辞書を投げつけられた。
「ふざけんな、馬鹿スペイン!《
後はその場を逃げ出す足音と扉の閉まる拒絶音。告白の返事にしてはあまりなそれに、スペインは躍起になって扉を叩いた。そんな一言で終わらされてはたまらない。人の気も知らないで。
「なあロマーノ、なにも難しいこと言うてへんで。お前がようわかってへんから、ああしたんや。なあ、この意味わかるやろ?《
「見縊るなよ馬鹿野郎。俺はそこまで馬鹿でも頭が目出度いわけでもわけでもねえんだ!《
叩き返される語気は相変わらず容赦なく鋭いものなのに、涙声と嗚咽が覇気を残らず相殺している。噛み合わない会話に焦れてスペインはごつんと扉に頭をぶつけた。
「なにを言うてるん、ロマ。俺はほんまずっと、お前のことこういう風に好きやって……なあ、《
「騙されねえよ!妥協してんのかよ。俺なら手に入りやすいと思ってんだろ!このバッファンクーロ!《
「はあ?なんのこと……《
謂れのない非難に抗議の声を上げるより先に、がつんと物凄い音がして扉に衝撃が走る。勢い一歩飛びのいてスペインは耳を押さえた。扉になにかを投げつけたのだろう。割れ物でないことを祈らずにはいられない。
「ロマーノ?ロマ!?《
「イタリアって吊がつきゃいいんだろーが!そういうことはバカ弟に言いやがれ!《
「は?なんでそこでイタちゃん……、って、ロマ?《
上可解な言葉の意味が解けかけたところで上穏な音に気がついて、スペインはもう一度扉に飛びついた。はたから見れば怪しいことこの上ない。通りかかったメイドが吃驚していたが構うものか。
分厚い木製の扉を通して聞こえたのは絨毯の上を駆けていく音。バタンと扉のようなものが開いてぶつかる音と一緒にごう、と風が吹き込む音がした。
(あいつ、なんちゅう……)
その意味するところがなんたるかに気付いた瞬間、スペインは床を蹴って身を翻していた。呆然と立っていたメイドの横を駆け抜けて一番近い階段へ。駆け降りる途中から手摺を乗り越えて、折り返して下へ降る階段へ飛び降りてショートカット。階下の廊下を迷いもせず左に折れる。幸い屋敷の中は知り尽くしている。走らせた視線で数える三番目の部屋の扉。
ロマーノはあのままヴァルコニーから外へ逃げ出すつもりだ。さっき聞こえた音はヴァルコニーへ通じる大窓を開けた音に他ならない。ノックもせずに扉を蹴り開けてスペインは室内に飛び込む。南イタリアの彼の逃げ足をなめてはならない。
(ここまできて逃げるなんて許さへん!)
逃げられてたまるか。飛び込んだ部屋はソファとピアノのある部屋だった。一直線に駆け抜けてヴァルコニーへ通じる扉を開くと、そのまま飛び出した。丁度此処はロマーノが立て篭もった部屋の真下の部屋だった。振り仰いでスペインは怒鳴る。
「今更、逃げられると思うてるんか?!ロマーノ!《
「ス、スペイン!?《
まさに階上のヴァルコニーの手摺を乗り越えたロマーノが、驚愕にオリーブグリーンの眼を見張るのが鮮やかに焼きつく。今更踏み止まることもできず落ちるように欄干を越えたロマーノの落下する体を、待ち構えたスペインはしっかりと両腕で抱きとめる。
万一そのまま下に落ちたらどうするつもりなのだろうか、ロマーノは。四階から落ちたらいくら国の化身だとしてもただでは済まないだろうに。いつもは臆病なのにこういうところは大胆で、本当に危なっかしい。
「は、なせよ、スペイン!《
「離すわけあらへんやろ。なに勘違いして勝手に自己完結しようとしてるん。俺の気持ちは放置なん?ちゃんと話、聞きや!《
逃げ出そうとする身体を抱きすくめてヴァルコニーの窓に押し付ける。泣かせても構わないと肩を掴むスペインのいつにない強引さにロマーノは泣き腫らした瞳に、更に新たな涙をためた。
「言うたやろ?俺の愛しとるんはイタリア=ロマーノや。イタリア=ヴェネチアーノとちゃう《
「し、んじ……られねえ……っ《
「なんでなん?俺が言うてんのに?《
「だって、おれ、俺はなにも、!《
言い聞かせるように耳に注ぎ込まれて双眸を視線で貫きとめられて、逃げられなくなったロマーノはスペインを見上げたまま悲鳴を上げた。
「俺には、なにもねえのに!なんで、そんなこと言ってくれるんだ!そんなの、嘘だ《
手間がかかるし役に立たない。扱いにくいし可愛げもない。家事も掃除もできないし、絵だって貿易だって、ローマ帝国の御技はロマーノの両手にはない。ふたつ同じ「イタリア《という果実があれば、どちらが捥ぎ取られるかなどわかりきっている。
おなじへたれで臆病でも、イタリアと違ってロマーノには甘えるような愛嬌や可愛げもないし、素直に礼を言うのもなかなかできない。なんでこうなってしまったのかわからないけれど、悲しくなるほどに顕われたこの二人の違いこそが、決定打だ。
「俺、知ってるんだよ。愛される才能ってのがあるかどうか。あいつにはあるけど、俺にはねえんだ。だから、全部差し引いたって、俺は、《
詰まらせた言葉は嗚咽になって涙になり頬を伝った。ぎゅう、とロマーノは目を瞑る。愛されることがないのなら、せめて支配国として傍に居られればいいと思っていた。
新たな涙が溢れる前にスペインの手がぱしりとロマーノの頬を叩いた。吃驚して目を開いた彼のその頬をスペインの両手が包み込みもう一度、逃げかけた視線を繋ぎ止められる。その怖いほどの強い眼差しに、ロマーノは息が止まりそうになる。
「なにくだらんこと言うてるん。そんなん俺が決めることやん。理由なんて俺の中にあるんや《
なんでこの子は肝心なことは見落とす癖に、些細な事には聡く、こんなに深くまで懐疑の渦に捉われてしまうのだろうか。もっと簡単なことなのだとスペインは思う。纏めてひっくるめてこの無器用な子がいとしい。ロマーノが好きだ。それ以上に理屈も理由も要らない。
「愛される才能なんていらへん。ロマーノは俺に愛される才能さえあればええねん。もうちゃんとあるやろ?俺が言うてんのはお前や。他はいらへん《
みるみるうちにロマーノの眼に涙が溢れて流れ出す。スペインの言葉が脳裏で繰り返されて胸が苦しくなる。なにもないのに、何も持っていないのに、手がかかるだけの俺を、スペインは愛していると、そう言ってくれるのか。
「お前は俺に愛されてればええねん。価値を決めるんは俺や。なあ、ロマーノ《
優しくて太陽の香りのする大きな手が、ロマーノの頬を撫でて涙を拭い去る。
「愛しとるで、ロマーノ。なあ、頷いてや《
ぼろぼろと涙を零したロマーノは声が出せないままこくりと頷いて、大好きなスペインの背中に腕を回すとぎゅう、としがみついた。
何もない俺に、そう言ってくれるのならば、俺の全部をスペインにあげようと、そう思った。
Shangri-la
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20100504
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