御伽噺のような部屋は、或いは欧州の国に住まう者にとってはそう珍しくない光景かもしれない。だが、東洋の国の者にとっては珍しいもの。そしてここは、日常から一歩離れた雰囲気を求めてやってくる者も少なくない場所だ。ニーズに合っているといえばそうなのだろう。
「だからってこれはねえよな」
色とりどりの造花や燭台で飾り立てられた可愛らしく狭い廊下を抜けて、開いた個室の先の光景に、思わずプロイセンは呻いた。
確かに西欧風の部屋だが、こんな部屋は実際にはそうそう無い。パステルカラーに纏められたソファとベッド。天使の絵の額縁と、造花の薔薇が飾る硝子のローテーブル。開かない窓にも揃いの薔薇の花。ふわふわのベッドはキングサイズとみまごうばかりで、これまた夢見る乙女ばりに、真っ白な天蓋が垂れ下がっている。
ベッドの上にちょこんと置かれた可愛らしいハート型のクッションを片手で放り投げながら、端に腰を下ろす。ベッドサイドのテーブルに乗っているばかでかいリモコンを手に取れば、天井の照明を細かに調節することが可能だということがよくわかった。ブラックライトにダウンライト、スターライトムーンライト。
「こんなに使わねえだろ。最中が見たいんなら照明全開にきまってんじゃねえか」
「雰囲気が大事なんですよプーさん。機微を解してください」
「プーさん言うな。んだよジジイ、希望あんのか」
「あけすけな発言は控えさせて下さい」
によりと笑ってプロイセンが投げた挑発にも乗らず、日本はにこりと微笑んであしらうと、荷物をソファの端へ降ろす。彼の返事が気に入らなかったらしいプロイセンも、抗議より先に近くにあった大型プラズマテレビに興味がそそられたらしく、反論を止めてリビングボードに近寄った。
「すげえな、オイこれジジイんとこのよりでけえぞ」
「薄型ですしねえ」
「リモコンどこだよリモコン」
「はいはいこちらに。いいですけど、いきなりアダルトチャンネルとかやめてくださいよ」
ガラス戸を開けて、これまた大きなリモコンを引っ張り出すプロイセンを窘めながら、部屋に備え付けの茶器を探す日本。背後ですげえぞカラオケまでついてやがる、とはしゃぐ声を聞きながら、やはりこの部屋を選んで良かったと内心で口角を吊り上げた。子供っぽいところのあるプロイセン相手ならば、気を逸らせるのに絶好の装備が揃っているのだ。
「ゲーム機とゲームソフトも借りられますよ。お望みなら、このまえ観たがっていた映画のDVDもあるかもしれません」
備え付けのレンタルメニューカタログをプロイセンに差し出してやる。さりげなく、一緒に並んでいたイメクラ用のレンタル衣装メニューはテーブルの下に押し込んで視界から抹消。おくびにも出さない。
「サイドボードの電話でフロントに注文できるのは普通のホテルと一緒です」
「PS3も借りれんのかよ。やるならどれにすっかなー。おっ!新作まで入ってるぜ!」
お湯を沸かしながら、棚の中のカップを取り出す。いかがわしい玩具の自販機が入っている棚を開けないように注意して、紅茶のパックを探し出しながら、カタログを上機嫌で捲るプロイセンを横目で確認。脳内プランを反芻する。
(予定通り、完璧です!私、流石!)
日本の内心に気付くはずもなく、プロイセンはソファに腰を下ろして鼻歌など歌っていた。珍しいものが好きなぶん、どうやらこの空間はお気に召したらしい。
「っつーかなんでもあるんだな、お前んとこのラブホってのはよ」
「恋人同士が楽しい時間を過ごすため、の空間ですからね。お客様への心遣いは美徳ですよ」
すました顔でそう言いながら日本はうふふ、と楽しそうに笑ってみせた。フロントに電話を掛けようとするプロイセンからさりげなくカタログを奪って、真鍮のドアノブのついたもう一つの扉と、壁半分を占有する磨り硝子張りの全面窓に目配せをするのは、勿論確信犯だ。
「ところで、先にお風呂入りませんか?」
日本のいざないに顔を上げて視線を追いかけたプロイセンの、赤い双眸がぎょろりと見開かれる。そこに一瞬過ぎった劣情に繋がる獰猛な色味に、日本は敢えて気づかぬふりをして微笑した。
硝子張りの浴室に目をやって、そこが風呂かよと呟く彼の好奇心を上手に煽るようにして、日本は広い洗面所への扉を開けてやった。
「いーい趣味。丸見えじゃねえのか」
「残念ながら厚い磨り硝子なので、影も映らなさそうですけどね」
「ちっ。なんだよ、やるならもっと思い切れよなー」
「だから雰囲気が大事なんですよ。そのぶん、中は楽しめますから」
「ふうん?」
立ち上がって洗面所を覗いて、プロイセンは軽く目を見開いた。貝殻のかたちの洒落た大理石の洗面台とイルカを模した銀の蛇口。やたら大きな鏡のはめ込まれたシャンプー台には、女性の喜びそうな、色とりどりの宝石瓶みたいなアメニティがずらりと並んでいる。
反対側の浴室の白い扉を開いて、思わず口笛を吹いた。とても広い。
「うわっすげえ!なんだこりゃあ!」
真っ白な丸い浴槽は大人が三人くらい入れそうな大きさで、洗い場はマットレスが敷けるくらい広い。綺麗なタイル張りの壁とコーナースペースは、無駄なくらい造花とクリスタルの置物で飾られていて、こんなところにもファンシーな空間を生み出している。
「風呂にまでテレビがついてっぞ。あ、これなんだ?」
広い浴槽の縁に並ぶ銀色のパネルを弄ろうとするプロイセンの後ろから、浴室の中を確認しつつ、日本はバスタオルを銀の手すりにかける。ふと見上げれば同じ銀色のシャワーノズルがイルカの形。この無駄さ加減が贅沢なのだなと納得できるのが、なんとなく自分でも可笑しい。
「ジェットバスじゃないですか?」
「んー、んー。他にもあるぜ。これ、浴槽内にライトついてるし」
「では、ごゆっくり」
実にさりげなく自然な流れになるようにそう言って、浴室を出ようとした日本の背中に低い声が投げられた。
「あ?お前も入んじゃねえの」
今の今まではしゃいでいたその延長でありながら、どことなく熱っぽくざらついた声音にひやりとする。竦みそうになる体を叱咤して、何食わぬ顔で日本は笑った。隙を見せれば相手のペースに引きずり込まれるだけだ。
「爺はゆっくり入りたいので後からいただきます」
「……まあいいぜ。風呂は一回しか入れないって規則はねえかんな」
「それはそうですね。あ、はしゃぎすぎてのぼせないように気をつけてくださいね」
「てめ、またガキ扱いしてんじゃねえ!」
拗ねたようなプロイセンの声を背に浴室の扉を閉める。極力落ち着いて足を進め、洗面所の扉を閉めたところで深呼吸。
ぐっと日本は音もなくガッツポーズをした。
(やりました!第一関門突破!)
そのまま華麗にターンを切って、向かうは隅にかたした荷物。開いたそこにはおおよそラブホテルとは一光年ほどかけ離れたものが揃っていた。ペンにインクに原稿用紙、トーンや定規一式にプロット帳。なにをしにきたのか聞くのも愚問な品揃えに、プロイセンが見たらきっと頭を抱えるだろう。
勿論、日本が大人しく本来の目的のためにラブホテルに来たかと問われれば、そんなはずはなかった。すちゃ、とネタ帳とペンを取り出してほくそ笑む日本の顔は限りなくあやしく輝いていた。
「甘いですねプロイセン君。甘い甘すぎる大甘です」
磨り硝子越しの浴室が、ただそれだけだなどいったら大間違いだ。
磨り硝子は天井付近だけが細くクリアになっている。その隙間から浴室の天井飾りの一部分になっている鏡が見える。そしてその鏡の角度が絶妙……どんぴしゃバスタブの中が映る仕組みだ。
(覗き……いえいえいえ!垣間見は日ノ本の國の文化にして美学!)
心中で言っていることは部分的には一理あるかもしれないが、ネタ帳片手にスタンバイする姿は説得力を粉砕して余りある。
(対象がプロイセン君なのはいまいちですが、他に誰かを巻き込むわけにはいきませんし、ここは譲歩です。むしろメインは雰囲気!次の新刊は完璧です!)
執筆がはかどらない時は行動あるのみ。実体験がネタと臨場感を生み出すのである。
かくしてペンを片手にネタと実体験取材を開始した日本だったが、すぐに譲歩したことをやや後悔した。
予想以上にプロイセンは落ち着きがなかった。ボディソープを無駄に泡立てていたかと思えば備え付けのバスボムやバスジェルをちゃんぽんし、ジェットバスで遊んだりテレビをつけてみる。挙げ句にむやみやたらとバスタブライトを次々に付け替えている。
大変に自分勝手な話だが、見ているうちにだんだん日本はいらいらしてきた。覗きが目的ではないが、あまりにも雰囲気が出ない。まるで子供の水遊びを微笑ましく見守る親の気分だ。微笑ましくないけれど。
(なにやってるんですかプロイセン君!私が求めているのは新刊のネタと、執筆テンションや表現力を培う臨場感です!普通に入ってください普通に!無駄な行動いらない!)
思わず心の中で映画監督ばりにダメ出しが入る。日本はネタ帳を一ページ毟り取り、再び硝子越しの鏡に視線を戻して今度は息をのんだ。
鏡に映るプロイセンが、今度は徐に片手を股間に伸ばしたのだ。
(ちょ、っ、え……ええええっ!?)
思わず声を上げそうになって慌てて口を押さえる。
いきなり始まった一人上手に日本は目を白黒させた。いや、確かに風呂場だからそういうことも無きにしも非ずだが、直前までの行動とかけ離れすぎている。
(というか、仮にもラブホですよ!ひとりで抜くとかどんだけひとり楽しいんですか!いや、待ってください……つまり私にはそもそも期待していないという……それはそれで最終奥義遺憾の意。はっ!これではまるで私が期待しているみたいじゃないですか!)
ぐるぐると考えれば考えるほど、思考が泥沼にはまっていく日本の視線の先で、容赦なく進んでいく洒落にならない公開オナニーショウ。
そもそも亀の甲より年の功。日本とて経てきた年月相応にそういう方面には通じている。むしろ通り越して今は専ら二次元だった。Z軸撲滅運動二次元嫁万歳。そんな日本にとって、プロイセンの即物的なやり方は生々しすぎる。
(っていうか普通他人の自慰なんて見ても……うう、勘弁してください。若い者にはついていけませ……)
どんどんえげつなくなるその行為にドン引きして、日本はここにきてはじめて蹌踉めいた。信じられないと呟くその思考回路は、普段自分が書く本や自身のされたことのある行為については、ちゃっかり棚上げしている。
予想外のクリティカルヒットにより敗北した日本はとうとう、鏡から目を逸らしてネタ帳をそっと閉じた。
********
「くああ、いい湯だったぜー!ほんっとここの風呂飽きねえな!」
「そ、それはなによりです……」
暫く後、バスローブを纏って上機嫌で出てきたプロイセンはそうのたまった。反対にそれを迎えた日本の方は、辟易してやや顔が引き攣っていたのだが、プロイセンは気付いていないらしい。
この悪ガキめと心の中で呟きながら、さっさと片づけたネタ帳を恨めしげに思い返す。ネタをゲットどころかMPを消費してしまった気分だ。
「なあなあ日本、風呂場にあったあの変な形の椅子みてえなのだけどよー、なんのために……」
「ああああああ、はいはい!PS3借りておきましたよ!プロイセン君がやりたがってたゲーム、確かこれでしたっけ!」
「おっ!気がきくじゃねえか!そうそう、これ」
押しつけられたパッケージに興味を移して、プロイセンは嬉々としてプラズマテレビへ向かう。余計な質問を上手くかわして冷や汗を拭う日本。昔からこうなのだ、と確信する。プロイセンは読みやすい相手のように見えて時折、読めない。
(なんでしょうか、昔は単純だとばかり、思っていたのですけどねえ……)
複雑な気分で後ろ姿を眺めていると、不意にプロイセンが振り返った。ゲームコントローラーを持っていない方の手でぽいとタオルを放り投げる。反射的に手を伸ばして受けとめる日本。はてと首を傾げて見返せば、既に大画面の方に向き直ってしまった彼の背中が目に映るだけだ。
「あの、プロイセン君?」
「お前も入ってこいよ。ジジイは長風呂だろ」
「否定はしませんけどね」
既にオープニングタイトルが流れ始めた画面を一瞥して、もやっとした気持ちを押さえながら、日本は半ば投げ遣りにバスルームへと向かった。
可愛らしい洗面所を抜けて着ているものを脱ぎ、浴室へ入る。扉を開けると二番風呂らしい蒸気が空気に混じって肌を濡らした。
だしっぱなしやりっぱなしの様相は大体想像がついていたが、やはりプロイセンはこんなところでも片づけができないらしい。
バスジェルをちゃんぽんして魔女の鍋のようになっていたバスタブのお湯だけは抜いておいてくれたらしいが、それならば床に放り出したままの空っぽのアメニティボトルやスポンジを、なんとかしようと思わないのだろうか。
(まあ、通過するときは行儀が悪い、ですしね)
嵐の後の惨状に軽くこめかみを押さえてから、日本はシャワーのコックを捻った。
バスタブにお湯を溜めながらのんびりと体を洗う。ぽかぽかと湯気で体が温まると同時に思考が落ち着いてきて、反対に胸にもやもやと渦巻いていたものが浮上してくる。
(なんでしょうかこの腑に落ちない感じは)
折角だからと一つだけ、プロイセンの侵略を免れていたローズのバスジェルをバスタブに入れて、ゆっくりと暖かいお湯に沈む。
そもそも此処には次のイベントあわせの原稿のために来たのだ。本来の目的は執筆の促進である。元々「そういう」目的で来たわけではない。なのにプロイセンのあの態度や行動が、どうしても胸の何処かにつっかえる。
(こんなこと、騙して連れてきた私が思う資格など無いのですが)
時々思わせぶりな様子を感じたと思ったのは、思い過ごしだったということか。気を逸らせようとしていたのは日本だが、あそこまでくると、逆に自分はいったい何なのだろうかと思う。
湯の中に膝を抱えて座り込み、ぼうっと考える。ぴしゃん、と冷たい雫が天井から落ちてきて肩にあたり、思わず身を竦ませる。つられて顔を上げると天井を飾る人魚のオブジェ。それと巧妙に隠された鏡が目に映った。
(あ……プロイセン君も此処で、)
先程のことを思い出したと同時にじわじわと胸の奥が疼いた。そのまま熱は血管を通って滴り落ち、腰に注がれる。
だんだんと下腹に渦巻く重く熱い熱の塊が思考を邪魔していく。バスジェルで薄く薔薇色に染まった湯の中、視線を下肢に落としていくと、案の定ある一点で止まる。どうして、と思いながら熱さに呼気を吐けばそれはそのまま溜息となって自分の耳に響いた。所詮、男のさがなんてこんなものなのだろう。
持て余しているのは劣情の熱か、それともいつの間にか鬱屈している心の飢えだろうか。自分勝手ですねと苦笑すると、日本はそっと腕を伸ばして己の熱を掌に収める。ぎゅうと猫のように背を丸めて、手を動かした。熱さに浮かされた瞼を閉じれば存外鮮やかに浮かび上がる、白銀の髪の揺れる様と、鋭い赤の眼差しの熱。
「ああ……」
音もなく唇だけで象れば瞼の裏で赤い目が獰猛に微笑んだ。白い掌が頬に触れて唇がおりてくる。痛いほど抱きしめられたかと思うと強引に開かれる脚の感覚に、羞恥と眩暈。重なる掌に欲情する。
物足りなくて思わず日本は、片手をそっと両足の間の更に奧まで忍ばせた。最奥の窄まりを恐る恐る指先で撫でると思い出す感触が心をきりり、と締め上げる。
喘ぐ声が恥ずかしくていつも日本はくちびるを噛む。そうすると言いたい言葉は声にならず、そのたびにプロイセンの指先が、強引に唇を割って歯列をこじ開けるのだ。
閉ざされた視界の中で己の指先が彼の指先と重なる。擦り、包み、撫で上げて、肌に触れる銀色の髪を思い出す。ねっとりと絡みつく情熱に、溢れる透明な雫。
飢えたように舌なめずりをして寄越せ、と嘯く傲慢な声。恥ずかしくて目を瞑っているけれど、ふと開いた拍子に見えるプロイセンの焦れたような表情が、日本は嫌いではなかった。
前だけでは物足りなくて、後ろに指を潜り込ませる。滴る雫と湯の所為で、柔らかくなった其処はすぐに解れて指先を受け入れた。奔放だが繊細で丁寧に動くプロイセンの指の感触を思い出しながら動かせば、あっという間に疼きが切ない微電に変わっていく。追い立てられて眩暈に捕まって、縋る相手が居ないもどかしさのまま日本はその名を呟いた。
「プロイセン、くん……っ」
とろりと腹の底で渦巻いた熱が張り詰めて、弾ける。
熱の余韻にうっすら瞼を押し上げて軽く上がった息のまま、一つ溜息をついた。股間から手を引き上げて目の前に掌を翳す。白濁した欲望の証で濡れるそれに、吐露しきれなかった色々なものがまだ胸の内を叩いている。嗚呼、格好悪い、情けない、浅ましい。
(なにやってるんでしょう、私は)
快楽の余韻とは反対に億劫な気分のまま、べたつく掌を湯に沈めて、日本はもう一度目を閉じた。
********
自己嫌悪を抱えたままどんよりした表情で風呂から上がると、プロイセンはダンジョンを攻略しているところだった。横目で見れば日本も数回クリアしたことのあるシナリオだ。
手慣れた様子でキャラクターを操作している。そういえば杜撰に見えて器用なところがある男なので、飲み込みが早かったのだなと今更思い出す。うおりゃあ、と無駄なかけ声を上げてコントローラーを叩くプロイセンの後ろを通り過ぎて、日本はベッドにぱたりと転がった。目を閉じると魂も抜けそうな溜息をひとつ。
(ああもう駄目です、ぐだぐだすぎます私。嗚呼、もうもう、)
「引き籠もりてえとか思ってんだろ、クソジジイ」
「そうですよ引き籠もりたいです……、え?」
ぴたりと言い当てられて目を見開くと、いつの間にかテレビの前から離れたプロイセンが冷茶の入ったグラスを持って立っていた。
ほらよ、と冷たいグラスを頬に容赦なく押しつけられる。もぞもぞと身を起こし、バスローブの袷を直しながら日本はそれを受け取った。
「ありがとうございます」
素直に受け取ってグラスのふちに口をつける。火照った体に冷茶の冷たさは心地よく、吐息が零れた。喉を潤す日本の横にどかりと腰を下ろして、呆れたように眉を顰めるプロイセンの声。
「またお前はややこしく考えてんだろ」
「またって、なんですか」
「お前は思ったままにしてりゃいいんだよ。小難しく考えすぎんな」
「貴方はもうちょっと考えたらどうですか」
「やっだねー」
べえーっと舌を出すプロイセンはにくたらしくもいつもと変わらなかった。けれど不意に安堵が押し寄せてきて日本は笑った。
ああ、そうだ。いつもと同じだ。
この男を前にするといつもそうなのだ。己の思うことに貪欲で容赦がない。その強引さと奔放さに呆れかえりながら、手を引く力強さに支えられていたのは日本自身だった。余計なことを考える暇などプロイセンは与えてくれない。一寸したことで芽吹く日本の後ろ向きな思考の暗雲をあっという間に吹き散らす、嵐。
取り繕う笑みではなく自然と唇を綻ばせて、日本はグラスをサイドテーブルに置いた。
「どうした日本」
「いえ、ありがとうございますプロイセン君」
「なんだ、なんかいつものジジイじゃねえみてーだな」
「そんなことありませんよ」
そうかよ、と肩を竦めるとプロイセンは咳払い一つ。日本の方に向き直った。
「んじゃあ、やるか」
「……は?」
次の瞬間吐き出された単語に意味が見いだせなくて日本はきょとんと目を瞬いた。いつの間にかプロイセンの手が肩を掴んでいる。なんですかといい切る前に強い力で体重を掛けられて、ものの見事に後ろに倒れた。ぼふ、と受けとめる柔らかなシーツにそういえばここはベッドの上だったと再認する暇もない。
遠慮会釈もなく馬乗りになってくるプロイセンに両手を押さえつけられる。なんですかこの体勢。これではまるで……。
「って、な、なんで!」
「なんでじゃねえよ、ここは恋人同士がこういうことするための場所だろ!」
「そういう意味ではなくて、なんであなたそんなことになってるんですか!」
互いにバスローブ一枚の姿なのだから、ちょっと暴れたり密着すれば男同士、相手の状態がどうなっているのかぐらいすぐに分かる。手を引っ張られてがっつり臨戦態勢のプロイセンのブツに押しつけられ、日本は悲鳴を上げた。理解できない。
「信じられません!さっき一回抜いたのに、もうそれですか!」
「うるせえ。お前のこいてんの見りゃあすぐにでもこうなんだよ、ばーかばーか!」
「ほらまたすぐ私の所為に……、ん?」
売り言葉に買い言葉。叫ぶだけ叫んで日本は違和感に口を噤んだ。脳内で今の会話を反芻する。
違和感の正体と導き出された答えにだんだんと青ざめる日本の様子を鑑賞しているらしく、プロイセンはによによ笑いのまま返答を待ってくれた。
「ええと、つまり……プロイセン君は最初から、その、気付いて?」
「ほんとお前、俺様をなんだと思ってやがる」
ぎょろりと動いた赫い目が、罠に掛かった獲物を前にしてぎらぎらと耀いている。自業自得だという声が聞こえた気がするが今更だ。
嗚呼、私、オワタ!と日本の脳裏にお馴染みの顔文字が大きく浮かんだ。
当然のこと、新刊は落ちた。
ハイリスク・ノーリターン
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20100905
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