いつも通りにまとまりのない世界会議を終えて、各国は思い思いに席から離れはじめている。これから予定のある者、無い者。それぞれが言葉を交わす声で辺りはざわついていた。
日本は腕時計をちらりと見ると立ち上がった。会議は予定より二時間も遅く終了した。議題が纏まらないことはいつものことだが、次の予定をもう少し余裕を見て入れておけば良かったと後悔する。急がなくてはならない。
近くにいたドイツに挨拶をして去ろうと思って顔を上げれば、丁度彼も日本の様子に気付いたのか席を立って歩いてくるところだった。珍しいことに今日は既にイタリアの姿がない。
「お疲れ様です、ドイツさん。いつもご苦労様で……」
「日本、これからの予定はどうなっている?」
予定を聞くには随分と深刻そうな顔をしているなと思いながら、日本はこのあとの予定を頭の中で整理した。さて、己は何か大切な予定を失念していただろうか。半ば鬼気迫るようなドイツの雰囲気に圧されて首をかしげる。
「フライトの予約は取ってあるのでこのまま空港へ行きます。本国で次の会議が入っていまして」
「む、そうか……では、やはり、そうだな、やむを得んな」
日本の返事に更にドイツの眉間の皺が深まった。なんのことだろうか。なにか急用でしょうかと言いかけた日本の手をがし、とドイツの手が掴んだ。そのまま歩き出した彼の腕に引き摺られる。突然のことに目を白黒させる日本を振り返りもせず、ドイツはどんどんと足を速めた。
「日本、もう行くのかよ」
「あ、イギリスさ、」
「その通りだどいてくれ、イギリス」
「なんでお前が答えるんだクラウツ…って、オイ!」
挨拶をする暇もなくドイツに引っ張られて日本は呆気に取られるイギリスの横を通過する。 ただでさえ悔しいかな、コンパスの差から追いついて歩くのにも苦労するというのに、いまやドイツの歩調はどんどんと速くなっている。競歩ですかそうなのですか。むしろもう走ってるじゃないですか!突っ込みを入れようにも引き摺られながら走るのに精一杯で日本は心の中だけで突っ込んだ。爺をもう少し労わっていただきたい。
階段を駆け下りて広い廊下を更に走る。口論をしているギリシャとトルコとその横で犬を抱えているエジプトの更に横を通り過ぎ(この会議場って犬連れ込みOKでしたっけ)、曲がり角でオランダとベルギーとすれ違った。
「ちょ、ちょっとドイツさん一体なにを急がれてるんですか」
なんとか息の合間に投げた言葉はしかし、当人が返事をする前に横からの声に遮られた。
「日本を攫って何処へ行く気だい、ドイツ!」
能天気な声をかけたアメリカの横をあっという間に追い抜かしながらドイツは怒声を投げた。
「日本は帰るんだ!」
「ええっ!そうなんですか!」
「そうだ!」
思わず叫んでからとてもかみ合っていない会話ですねと日本は我ながら思った。でも仕方ない。ドイツ自身が用があるわけではないらしいが、だとしたら何故こんなに彼は日本を連れて急いでいるのだろうか。
ドイツさん、となんとか声をかけた途端に今度は激しい横揺れ。角を曲がってアメリカの姿が見えなくなるや否やドイツは近くのドアを開けて飛び込んだ。小柄な日本は振り回される形で引き摺られ、ひょいと小脇に抱えられて運ばれる。
「ちょ、ドイツさん!降ろしてください走れますよっ」
なんたること、爺を労わってくれとは思ったが、これはこれで屈辱だ。ばたばたと暴れると流石に運びにくかったかドイツは日本を降ろした。
「あの、説明してください。どういうことなんでしょうか」
「……日本、予定通りにフライトに乗りたいのなら俺と来るんだ」
「え、なんですかそれ」
脅迫に似たそれに眉をひそめるがやはりドイツは緊迫した面持ちで日本の手を掴むと走り出す。ぐるりと見回せば非常階段が螺旋を描いている。まさか屋上までじゃあないでしょうね。だから爺を労わって下さいと正座して小一時間(ry
思っても口に出せない日本人。
ドイツに手を引かれて三階のドアを押し開けるとそこにもうひとつの人影がある。
「ヴェ!ドイツー!間に合ったんだねよかった日本!」
イタリアに勢いよく抱きつかれてよろける日本の背中をがしっと支えるドイツの腕。枢軸のコンビネーションは今も健在だ。
「もたもたするな、急ぐぞ」
「日本、急いで!こっちこっち!」
今度はイタリアとドイツ二人に両手を引っ張られて引き摺られる。訂正、この二人コンビネーション良すぎます。身長差も相まって、私、捕獲された宇宙人みたいじゃないですか!
ドアを抜けると空中庭園のようになった場所へ出る。会議場として何度か訪れているこの建物だが、こんな場所があったのかと日本は少し驚いた。建物伝いに別棟へ走ってヴァルコニーへ回り込もうとしたとき、不意に影がよぎった。
ばあん、と乱暴にも程がある勢いで開かれた扉が蝶番を限界まで稼動させて、壁に叩きつけられた挙句に反動で跳ね返る。それを行儀の悪い脚が止めた。ごつい軍用ブーツの底が金属製の扉の面を微妙に凹ませているようなのは気のせいか。
ドイツがあからさまにちッと舌打ちした。背の高い背中に隠すように追いやられて日本からはよく見えないが、あのドアの開け方には嫌というほど聞き覚えがあった。あれに日本の自宅の扉も数回餌食になった。あれほど何回も引き戸ですと言ったのに。
(そろそろ弁償してくれたっていいんじゃあないでしょうか)
いつの間にか思考が本筋を離れ始めている日本の横で、イタリアが悲鳴を上げた。ここに白旗があったらもの凄い速度で振っているだろう。
「うわあああ!プロイセンだああ!」
「ようイタリアちゃん、今日もNiedlichだな!」
開いた扉の前で仁王立ちしたままプロイセンはウインクを投げた。見た目だけはすこぶる良いので様にはなるが、如何せんケセセという大笑いと子供っぽい言動が全てを無に帰している。勿体無いとはこのことだと、日本は日本語にだけ存在するその単語の意味をこんなところでかみ締めた。
本当に勿体無い。時々やけにかっこよく見える時があるが(それがどんなときだなんて言えないけれど!)それさえもたぶん幻か何かなのだろうと日本は思っている。
敵意むき出しの様子でドイツが怒鳴った。
「やけに早いじゃないか、兄貴!」
「甘ぇぜヴェスト、お前お兄様を出し抜けると思ってんのか?」
「何故だ、下調べは充分だったはずだ」
「俺様の事前調査は更に上を行くんだぜ!なめんなよ!」
兄弟のやり取りに日本とイタリアはドイツの後ろに隠れたまま顔を見合わせた。マニュアル人間、用意はがっつりのドイツを上回る周到さには驚きだ。
「というか、プロイセンはこの会議出てないのにねえ」
「はっ!そうです、自宅警備員なのになんでわざわざ会議場の見取り図調べてるんでしょうか。やっぱり暇なんですかね」
という結論にたどり着く。勝つためには手段を選ばないのはこんなところでも健在だった。実に無駄です。そこまで思ってふと日本は本題に戻った。何故そんな下調べまでしてプロイセンはこんなところに現れたのだろうか。
そろそろ突っ込みを入れたほうがいいかとイタリアに声をかけようとしたそのとき、プロイセンがドイツに向かって怒鳴った。
「ってわけで、観念して爺をこっちへ寄越しやがれ」
どういう意味だろうか。
脈絡がない言葉に日本は目を瞬く。しかしドイツとイタリアはその言葉をはじめから予測していたらしく、がしっと日本の腕を掴んだ。
「そうはいかないな。これ以上日本に迷惑をかけないでくれ」
「だめだよプロイセン!いくら三月十四日でも日本は渡さないんだからね」
イタリアの声に日本はそこでようやく今日本が何の日本かを思い出した。いや、でもこれは日本の製菓会社の商戦日であって国際的な行事ではない。流石にそれは関係ないでしょうと突っ込もうとしてはたと思い出す。先月の十四日本にそういえばチョコレートを渡した(というか渡さされた)覚えがある。しかしまさかそこまで律儀にプロイセンが考えているのだろうか。
「お前ら……俺様に構って欲しいのはわかるけど、嫉妬すんなよ」
「ちがう」
プロイセンの勘違い発言にドイツの即答がコンマをきった。ある意味すがすがしい。
「ヴェスト…俺ちょっと傷ついた」
「人を巻き込んでいて何を言うんだ。それに日本が家に来るのは悪くは無いが、仕事の予定を狂わせるわけにはいかないだろう。常識だ」
ずばりと正論で切られてプロイセンがちっと舌打ちをした。
(こういうところはご兄弟そっくりですね)
先程のドイツの様子を思い浮かべながら隣のイタリアを見ると、日本が連れて行かれるのを阻止しようとするようにがっちりと腕にしがみついている。大げさですねえとちょっと微笑ましくなった日本だが、プロイセンの目にはそうは映らなかったらしい。二人の気迫にがしがしこめかみを擦ってため息をついた。
「わーったよ、今日はジジイ連れてくのはやめっから」
「って、連れて行くつもりだったんですか!」
「当たり前だろうが、なんのためにここまで来てやったと思ってんだ」
「危機感が無さ過ぎるぞ日本!」
心底驚いた日本なのだが、即座にゲルマン兄弟に同時に叱責を受けてしまい、なんだか腑に落ちなかった。
もう一度ため息をつくとプロイセンが徐に足を踏み出す。身構えるドイツとイタリアの横を通り過ぎて日本の前に立つ。見下ろす不遜な眼差しをいつものように受け止めて日本は一礼した。
「お久しぶりです、プロイセンさん」
「手ェ出せ、ジジイ」
言われて日本ははいはいと手を出した。ずっと昔、プロイセンに師事していた頃にもこういうことがあったなあと思い出す。手を出せと言われて出したら蛇の抜け殻と蜘蛛の標本を乗っけられてひっくり返りそうになった。その次にもう一度同じことを言われて躊躇ったら、握手くらい応じやがれと頬を抓られた。思えばアレも理不尽だった。
プロイセンが後ろ手に隠していたものを出す。ばらばらと日本の手に落とされたのは色とりどりのカラフルな包みだった。ピンクのリボンの小瓶、オレンジのオーガンジー。白い造花をあしらったハート型のボックスに、白いウサギの小さなぬいぐるみ。
「えっ、ちょっ、なななんですか!」
降ってくるパステルカラーの品々を慌てて両腕で受け止めながら日本は驚きに悲鳴を上げた。おおよそ眼前の男には不釣合いなものを渡されて、蜘蛛の標本のとき以上に腰が抜けそうだ。わあー可愛いねえ、などとイタリアが隣で暢気に声を上げている。
「あ、あの、プロイセンさん?これは…」
恐る恐る日本はプロイセンの仏頂面と腕の中のファンシーでガーリーな包みの数々を見比べた。おっそろしく似合わない。
「先月の礼だ。三倍返しが基本なんだろ?」
思わぬ男前な発言に不覚にもくらりとくる。まさかまさかと思いながらもなおもプロイセンと可愛らしい包みの数々を見比べて日本は聞いてみた。
「も、しかしてこれ、プロイセンさんが選んでくださったんでしょうか?」
なにか変な質問をしたかのようにプロイセンの形のいい眉がぎぎぎと寄って唇が曲がる。
「当たり前だろ。俺様がてめえのために全部選んだんだ」
「プーさんが…」
「こらてめえ、プーさん言うな」
プロイセンのいつもの主張も右から左で日本はまじまじとプロイセンの顔を見上げた。後ろでドイツが呆れたように嘆息するのが聞こえる。
「もの凄くファンシーな菓子屋のショーウィンドウ前で長時間なやんでいたな」
その声にぶすっとプロイセンが更に凶悪な顔になる。
日本の頭の中に可愛いを詰め込んだような店の中で、まじめな顔で黙って立っていればワイルド系イケメン直球の男がキャンディやマシュマロを選ぶ光景が眼に浮かぶ。
「なんですかそれプーさんそんなの似合わないにも程があります」
「うるせえ。せめてかっこいいとか思えよ!」
萌え心を擽られてふるふると震えだした日本の様子にプロイセンが更に腑に落ちないと怒鳴る。でも似合わないよねー。そういって小首を傾げたイタリアの横で、再びため息をついたドイツのもう一言が日本の耳に届いた。
「まったく、犬の散歩途中の俺まで引き摺り込んで、あの場の空気は恥ずかしくて居た堪れなかったぞ…!」
「!!」
途端に日本の萌えメーターが限界を吹っ切れたのは言うまでもない。
「ちょ、ファンシーな店で恥ずかしいのを我慢してホワイトデーのお返しを選ぶドイツさんテラモエス!たまりません!爺を萌え殺すつもりですか!」
「うわあ!なにを言っている日本!おちつけ!」
「おちついてなぞいられませんっ!ぜひともそのお姿を写真に収めたかった!ドイツさん最高です!超萌え!」
「こら、まて!」
もの凄い勢いでドイツに飛びつかんばかりの日本にあっという間にアウトオブ眼中にされたプロイセンの叫びがその場に響き渡る。
「お前もう少し自分の彼氏に興味持てよ!」
日本の腕の中で白ウサギのぬいぐるみの赤いガラスの目が、泣いているようにきらりと輝いた。
Mission impossible!
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20100314
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